ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

2023-01-01から1年間の記事一覧

川口グリーンセンター―大場小の遠足⑤―

前回は昭和49年(1974)5月18日、春日部市立大場小学校2年2組の折、大宮公園の遠足に出かけたことを書きました。 写真には母親によるボールペンの裏書きがあります。「49.5.18 大宮公園」とあります。実はもう1枚、同年月日の違う場所の裏書きのある写…

大宮公園―大場小の遠足④―

大宮公園の遠足。昭和49年(1974)5月18日、大場小2年2組の集合写真(Q街区所蔵) 掲げた写真は、半世紀前の昭和49年(1974)5月18日、埼玉県大宮市(現、さいたま市)にある大宮公園へ遠足に行った折の大場小学校2年2組の集合写真です。 大宮公園は…

故郷喪失―武里団地着工60周年記念事業⑪ 講演会―

講演のまとめです。どこに落としどころを持って行こうかと悩みました。 次の4点を挙げました。 ①農村風景の中に突如として出現した巨大な人工の街。武里団地は、全く歴史的脈絡のないところに水田を埋め立てできた町でした。 近未来を感じさせる団地は、S…

団地祭り―武里団地着工60周年記念事業⑩ 講演会―

講演の終盤に入ります。平成21年(2009)の撮影写真を使いながら、団地商店街(7街区、2街区)にタイムトラベルしました。 解体前の静けさというか、2街区は寂寥感漂っています。 すると、ざわざわと人の声が聞こえてきました。祭りに興じる人たちの声です…

団地商店街にタイムトラベル―武里団地着工60周年記念事業⑨ 講演会―

前回まで春日部市の合併と公団住宅の建設、武里団地人口の増加、そして大畑、大場、沼端の3小学校の児童数変遷のグラフを見ながら、武里団地が若い夫婦世帯が入居し、団地で生まれ、育った子供たちによって団地人口、学校児童人口のピークを迎えたという話…

児童が団地人口6分の1―武里団地着工60周年記念事業⑧ 講演会―

前3回で大畑、沼端、谷中小の主な創立時の出来事と児童人口を紹介しましたが、講演では児童数の変遷のみ説明しました。 大畑小(1~3街区)は昭和49年に1538人、大場小(7~9街区)は昭和49年に1681人のピークを迎えます。 昭和48年(1973)4月頃、下…

谷中小学校、4、5街区の児童が通学―武里団地着工60周年記念事業⑦ 講演会―

現在は谷中小記念公園となっている(2009年7月25日、Q街区撮影) 谷中小学校の学区に武里団地4、5街区も含まれていたことを最近になって知りました。 『学校要覧 平成14年度 小学校2』によると、谷中小学校の学区は、武里団地4、5街区、大畑、大場、千…

沼端小学校、慌ただしく開校―武里団地着工60周年記念事業⑥ 講演会―

沼端小学校のことを紹介したいと思います。 恥ずかしい話ですが、実は沼端小には行ったことがありません。武里団地に住んでいた当時、沼端小は遠いというイメージが強くあり、ついに行かず仕舞いでした。 先の講演で武里団地に行った際、沼端小の場所へ行き…

大畑小学校、武里団地と共に誕生―武里団地着工60周年記念事業⑤ 講演会―

講演の内容(大畑小学校の児童数に触れたのみ)を一部ふくらまし、大畑小学校のことをご紹介します。大場小学校5年中退の私が大畑小学校のことを書くのは気が引ける部分もありますが、データと文献を基に書こうと思います。 武里団地の人口は昭和45年に2168…

「市人口の4分の1」―武里団地着工60周年記念事業④ 講演会―

将来的な人口増と住宅不足を見込んで、昭和30年(1955)に日本住宅公団が設立され、特に大都市近郊に公団住宅の造営を推進しました。 公団の言葉を借りると「勤労者のための住宅建設」「大都市周辺での広域的・計画的住宅建設」を目指すというものです。 歴…

「市と公団の利害一致」―武里団地着工60周年記念事業③ 講演会―

武里団地着工60周年記念事業の講演会が11月19日、近隣公園内の武里南地区公民館で行われ、Q街区が「私と武里団地―昭和の思い出、子供たちの楽園―」と題して1時間ほど話しました。 春日部市合併1町4カ村の図。斜線箇所は昭和19年に合併して春日部町となり…

「本当に東洋一?」—武里団地着工60周年記念事業②講演会—

春日部市郷土資料館学芸員の鬼塚知典さんが着工当時の武里団地の様子を話した(2013年11月19日、Q街区撮影) 武里団地着工60周年記念事業の講演会が11月19日、近隣公園内の武里南地区公民館で行われ、春日部市郷土資料館の学芸員、鬼塚知典さんが「1963武里…

「なつかしい」—武里団地着工60周年記念事業①写真パネル展と講演会—

約50人が懐かしい話に聞き入った。武里団地着工60周年記念事業講演会。冒頭で武里南地区公民館の職員Sさんが挨拶をする(2023年11月19日、Q街区撮影) 埼玉県春日部市南部にある武里団地が着工60周年を迎えました。 それを記念した写真パネル展と講演会が1…

お知らせ、武里団地写真パネル展(11月19日、武里南地区公民館)

埼玉県春日部市の武里団地は昭和38年(1963)に着工されました。 今年は着工60周年に当たります。それを記念した記念事業が実施されます。 武里団地着工60周年記念事業の第1弾として、写真パネル展が11月19日(日)正午から午後4時、武里南地区公民館(近…

利根大堰―大場小の遠足③―

利根大堰の社会科見学。昭和51年(1976)、大場小学校4年1組の集合写真。服装から察するに夏。私は一番遅れて列に加わりました。前から3列目、左端が私です(Q街区所蔵) 昭和51年(1976)、春日部市立大場小学校4年1組(担任、氏家千恵子先生)の時に…

ベランダ

ありし日の9―12。すでに無人。水平の凸箇所がベランダ。昭和40、50年代には手前の植栽はなく、すぐ芝生が見えた(2016年9月9日、Q街区撮影) 団地で暮らしていた思い出の1つにベランダがあります。 武里団地の昇降口とは反対側の南に面した側に各戸にベ…

武里団地9街区解体工事(2023年10月17日)

2023年10月17日午後2時を回った頃、武里団地9街区を訪れました。解体工事が大分進んでいました。午後4時頃には物音がなくなり、静かになりました。 右側に第二白百合幼稚園園舎。奥に9―13。無機質な空間と青空がミスマッチだ。 9―11。最上部に作業員の…

校歌と開学の碑―大場小学校の歴史⑤―

令和5年(2023)10月17日午後3時頃、武里西小学校を訪ねました。 武里西小学校校庭の片隅に大場小の校歌の碑があるからです。以前、別稿で校歌の歌詞を紹介しましたが、夏休み中だった武里西小に電話をして、校歌のことを尋ね、そこで初めて校歌の碑が校庭に…

弟自転車、壁激突

これは何歳ぐらいの頃だったか。 昭和44年(1969)生まれの弟がまだようやく補助輪付きの自転車に乗れるようになった頃だから、昭和47、48年頃のことでしょうか。私がせいぜい白百合幼稚園年長か大場小1年の時です。 弟の自転車は補助輪が付いていましたが…

園長先生の遊戯論―武里白百合幼稚園9―

武里白百合幼稚園お遊戯会。後列左から2人目がQ街区(昭和46年12月、Q街区所蔵) 「先生」 こう呼ばれる方々の存在は、還暦の大台に近づきつつある〝元子供〟の自分に未だに小さからぬ光と影を投げかけているように思います。 学校という場では特にそのよ…

好きなテレビ番組―武里白百合幼稚園8―

引き続き武里白百合幼稚園PTA機関紙第8号(昭和48年3月15日発行)に基づいて当時の園児たちがどんなテレビ番組を見ていたのか、ご紹介したいと思います。 まず写真を参照してほしいのですが、このテレビ番組ランキングは白百合幼稚園児たちへの調査結果…

将来の仕事―武里白百合幼稚園7―

昭和48年(1973)3月15日付発行「武里白百合幼稚園PTA機関紙 しらゆり」第8号が私の手元に残されています。 私の母親が第8号をわざわざ残しておいたのは、Q街区の実名が将来なりたい職業と共に活字で掲載されていたからでしょう。 この号の機関紙だけ…

算盤塾

武里商店街入口、五差路交差点前のテナントビル。西側(裏側)から望む。建て替え以前の昭和49年頃、2階に算盤塾、ラーメン大学などが入っていました。下に金子商事の石造りの倉庫。この倉庫は当時もあったような気がします(2011年8月8日、Q街区撮影) 算…

校歌―大場小学校の歴史④―

春日部市立大場小学校の校歌のことを書きたいと思います。以前、武里西小学校ホームページで大場小の校歌の歌詞を見ることができましたが、今は見られません。 ホームページを閲覧した当時の私はデータ保存しませんでした(後悔しきり)。今回、改めてインタ…

トンネル公園

以前「時計公園、トンネル公園」と題して記事を掲載しましたが、背景にトンネル公園が写る写真が見つかったので、改めて「トンネル公園」のことを書きます。 トンネル公園は第二白百合幼稚園と9ー2との間のスペースにありました。今も公園はありますが、名…

近隣公園

昭和45年(1970)3月頃、近隣公園の中にあった噴水公園。少し高台になった、植栽に囲われた一角に花壇(パンジーが咲いている)とベンチがありました。被写体の子どもは3歳5カ月(写真裏書きによる)のQ街区㊧。乳母車の中に次弟がいる。背景の団地は9―…

学び舎のこと―大場小学校の歴史③―

4年1組の写真。昭和51年4月、大場小学校校舎の前で撮影。私は前から4列目右から2人目です。一番後ろの方が氏家千恵子先生です。厳しさと優しさを兼ね備えた凛とした先生でした(Q街区所蔵) 大場小学校の卒業生の中で、しっかりと校舎を記憶している方…

増える児童数―大場小学校の歴史②―

今回は増える児童数のことをご紹介したいと思います。その当時の武里団地がいかに子供の数が多かったか、大場小を例に見て行きます。 武里団地の元住民のみなさん、古くから住まわれている現住民のみなさんは、昔の武里団地には至る所に子供たちの遊ぶ姿があ…

開校記念日の謎―大場小学校の歴史①―

昭和49年4月頃、大場小学校体育館内で2年2組の記念撮影。最前列の中ほど背広姿が色井正夫校長先生、右隣りが張谷婧子先生。Q街区は2列目1番右端。体育館ステージの上に大場小学校の校章が見える。昭和43年9月に校章が制定されて5年7カ月経つ。校歌…

武里団地名店会(その2)

背景に昭和46、47年頃の2―4号棟が写る。左端は5歳か6歳のQ街区。母親(右端)と弟(母に抱かれている)と、母の友人(左から3人目)と娘さん(Q街区背後)と一緒に買い物に訪れた。母の友人は確か1―5号棟辺り(東武線が近かったのを覚えている)に…