ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

児童が団地人口6分の1―武里団地着工60周年記念事業⑧ 講演会―

 前3回で大畑、沼端、谷中小の主な創立時の出来事と児童人口を紹介しましたが、講演では児童数の変遷のみ説明しました。
 大畑小(1~3街区)は昭和49年に1538人、大場小(7~9街区)は昭和49年に1681人のピークを迎えます。

昭和48年(1973)4月頃、下校途中の大場小児童たち。9―12と9―13との間は芝生面積を広く取り、小径が東西に走っていた。翌年、大場小は全校児童数1681人となり、ピークを迎える。背景は9―13号棟。洗濯物と布団干しは団地らしい日常風景(Q街区所蔵)

 これは武里団地に入居した若い夫婦世帯が子供を出産し、その2、3年後に再び出産した、その子供層が最多の児童人口を形成したことを示しています。
 昭和49年だけに焦点を当てると、大畑小と大場小の児童人口を足すと3219人となります。ここに谷中小の児童数を足したいところですが、昭和49年の数値が不明です。そこで昭和46年に4、5街区の児童289人が大畑小から谷中小へ移った数値はわかっているので、昭和49年段階で約250人と概算し、3219人に250人を加算します。

 すると大畑・大場・谷中3小学校の武里団地児童は合計3469人になります。

 武里団地の総人口が21699人(昭和50年)ですから、武里団地人口の約6分の1が小学生児童だったということがわかります。多少の誤差はあるかもしれませんが、団地に子供たちがいかに多かったことがわかるかと思います。
 3小学校の児童数3469人に両親2人を掛けると、6938人となります。小学生児童3469人+両親6938人=10407人となります。武里団地人口の約半数が3小学校の児童と両親で占められていたことになります。

 武里団地入居初期の居住者の平均的に多い世代は男性が30代、女性が20代とされています。武里団地の平均的家族像は、男性30代、女性20代、子供が1人もしくは2人の、若い核家族(1世帯3、4人)であったと示せるものと思います。

昭和47年頃の近隣公園。右端がQ街区、左隣りが幼なじみのK君、その左隣りがK君の妹、左端がQ街区の弟、後ろの女性はK君のお母さん。その後ろに家族連れで楽しむ姿が写る。団地居住者の多くは若夫婦と子供たちだった。背景の建物は7―2、6街区(Q街区所蔵)

 その若い核家族世帯がそのまま武里団地に居住し続け、昭和49年にピークを形成したものと言えるでしょう。
 本来であれば、嬰児から5歳、幼稚園・保育園・中学校生徒の人数を足したいところですが、数値を調べていないので、後の課題としたいと思います。