将来的な人口増と住宅不足を見込んで、昭和30年(1955)に日本住宅公団が設立され、特に大都市近郊に公団住宅の造営を推進しました。
公団の言葉を借りると「勤労者のための住宅建設」「大都市周辺での広域的・計画的住宅建設」を目指すというものです。
歴史学者、原武史さんの著書『滝山コミューン一九七四』(講談社、2007年、文庫版2010年)には西武線沿線の公団住宅のことが詳しく書かれています。同書には触れられていませんが、埼玉県域の国鉄(東北本線、高崎線)、東武線沿線にも公団住宅が次々と造営されました。
昭和31年の大宮市の東本郷団地332戸が造営されたのを皮切りに昭和32年以降は下記のように次々と建設されます。
大宮市の宮原団地214戸
入間郡の鶴瀬団地230戸
所沢市の新所沢団地2455戸
南浦和団地1253戸
草加市の草加松原団地5926戸
浦和市の田島団地1907戸
*春日部市の武里団地5559戸
上尾市の原市団地1583戸
同市の尾山台団地1760戸 (『春日部市史』第6巻通史編Ⅱより)
武里団地は昭和38年(1963)11月、武里団地着工、大枝・大場地区の60万平方メートル敷地に造成されました。昭和41年4月に1~4街区に入居開始、42年10月に7街区まで入居、昭和43年までに9街区まで入居しました。
鉄筋コンクリート10階建て2棟、4、5階建て180余棟、学校、ショッピングセンター、官公庁出張所が造られました。
当時、事実はともかく「東洋一のマンモス団地」と言われました。入居完了当初は6119世帯、人口約1万9000人。この人口は漸増し、昭和45年に2万1687人となります。これは春日部市人口8万4919人の4分の1を占めます。
昭和50年に2万1699人とピークを迎えます。春日部市人口は12万1639人に膨れ上がっています。武里団地人口は6分の1と相対的に占有率が下がりますが、このことは周辺にも宅地造成が進んだことを示しています。
令和5年10月1日現在の武里団地人口は7925人、戸数5181(公民館報『けやき』第460号、令和5年11月)。人口はピーク時の3分の1にまで激減しました。と同時に人口と戸数が接近しています。これは1戸当たりの人数が独居もしくは2人が大部分を占めていることを物語っています。