ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

半世紀前の団地入居

 昭和38年(1963)に武里団地建設が着工され、昭和41年(1966)に入居が開始されます。
 この時点での入居希望者は昭和40年度の武里団地の第1次新規募集に応募する必要がありました。
 そして入居するためには高い倍率の抽選に当選しなければなりませんでした。
 以下は日本住宅公団東京・関東支所の「賃貸住宅入居申込案内―昭和40年度第5回新規募集」に基づくものです。
 この時の武里団地と共に募集がかけられた団地は以下の通りです。
 ⑴千草台団地(第1次)1455戸
 ⑵幡ヶ谷市街地住宅170戸
 ⑶田町駅前市街地住宅311戸
 ⑷武里団地2424戸
 ⑸川口本町市街地住宅78戸
 ⑹西川口市街地住宅153戸
 比べると武里団地の募集戸数が突出して多いことがわかります。この第1次募集の対象街区は1~4街区です。けやき通りから東側のエリアのみとなります。
 郵送申込期間は昭和41年2月1日(火)~同年2月5日(土)でした。「郵便局の消印のあるもののみ有効」という一言が添えられています。これは抽選の平等を期するためだったのでしょうか。
 入居を決める抽選は同年2月25日(金)午前10時から日本住宅公団九段事務所で公開抽選という形で行われました。

 この九段事務所は日本住宅公団東京・関東支所の場所と思われます。当時の住所が千代田区九段1―14、靖国神社正面鳥居前にありました。靖国神社前とは、なかなかしぶい場所にあったんですね。
 抽選には誰でも応募できるというものではなく、申込資格がありました。そのまま抜萃します。
 ①住宅に困窮していること。
 ②世帯向住宅については現に同居し、又は同居しようとする親族(公団の指定した入居可能日から1カ月以内に同居しようとする親族)があること。ただし小世帯向住宅は2人世帯(未就学児童のある場合3人世帯まで認めます)に限ります。
 (注)「親族とは」6親等内の血族、配偶者および3親等内の姻族をいい、事実上婚姻関係と同様な事情にある方を含みます。
 ③毎月の平均収入額が公団の定めた基準月収額以上あること。(注)「毎月の平均収入額」とは給与所得、不動産所得、事業所得等で継続的なものの過去一年間の合計額を、原則として12で除した額をいい、課税の対象となっているものに限ります。また同居される親族と収入を合算される方は、申込本人の収入が「住宅概要」欄記載の基準月収額の3分2(合算する場合の本人の収入欄の金額)以上あることが必要です。
 ④申込者が日本の国籍をもつていること。
 ⑤確実な連帯保証人があること。(都内または東京近郊に居住し、収入が公団の定めた5頁以降の住宅概要欄記載の「本人のみの場合」基準月収額以上の方であること)


 以上5カ条が申込資格となります。違反申込に対する措置というのも規定されています。1世帯で2通の申込をした場合や虚偽記載、他の団地名の記載などがあった場合です。当選したのに入居を辞退した場合はそれまでの落選回数が無効になりました。つまりは〝落選回数の多さ〟というものも配慮されていたということになりますね。

 次の武里団地の住宅概要の表を参照してください。 

武里団地第1次入居募集に記載の「住宅概要」。出典は表の最下段に記した

 まず申込区分ですが、片仮名は単に「ソタチツテトナニ」とあいうえお順に付けた名前です。「特」というのは落選回数15回以上に限るという意味です。「地元」は春日部市岩槻市越谷市白岡町、宮代町、杉戸町庄和町松伏村に昭和41年2月段階で3カ月以上住んでいる者です。

 「組合せ型」住宅は「タ」と「ナ」の申込区分がそれに当たり、同じ階段室に面して間取りの違った住宅が向き合っている形式のものです。「ト」と「ニ」は1階が店舗及び施設なので、2階以上が住宅になっています。これは2街区を指しています。募集時点で7街区はまだありませんでした。

 「チ」の間取りの「MF」とはメタルフォーム工法を意味しています。コンクリートを流し込む木製型枠のかわりに鋼製型枠をはめ込んだ新工法のようです。

 気になる基準月収額ですが、これは面積・間取りによって異なります。

 例えば、最上欄の面積45・02平方メートル、間取り2DK、6畳、4・5畳、台所兼食事室(556戸、家賃9300~9800円、共益費800円)の場合、基準月収額が本人のみ49000円、同居の親族の収入と合算する場合の本人収入が32000円というのが条件でした。これをクリアしないと応募できませんでした。
 他の違う面積・間取りの場合(計8種類ある)を見ると、本人のみの基準月収額は下は48000円、上は68000円です。

 8種類を平均すると、56375円となります。大体55000円前後の平均月収が必要であったということになります。昭和41年ですから、月収額も大体このぐらいだったわけであり、家賃が月収の5分の1程度ということになります。今ならば、若い世代が月給20万円として約4万円の家賃という感覚ですか。まあこのぐらいかなという家賃です。

 新規募集には次のようなことも記されています。

 ⑴団地内には4月中に開校予定の大畑小学校、幼稚園、保育園があり、中学校は武里中、東中、春日部中があること。

 ⑵診療所は5月1日に開設予定。

 ⑶武里駅―団地間にバスが運行される予定。

 ⑷武里団地のガスは関東ガスの供給区域のため、東京ガスよりカロリーが高く?、家庭用ガス器具は一部調整が必要。

 ⑸団地内に公団住宅を建設中なので騒音、ホコリ等で迷惑をかけること。

 ⑹駐車場は㈱団地サービスが経営する有料駐車場が設置される予定。

 両親と赤ん坊だった私は昭和43年の入居です。父は35歳、母は26歳、私は2歳でした。最新の生活様式が整えられた真新しい住居空間です。当時の若い夫婦世帯がこぞって応募したわけがわかります。