3月3日の桃の節句は過ぎたのですが、雛祭りのことを書こうと思います。
写真は武里団地9―12に住んでいた頃、お向かいの娘さんの雛祭りに御呼ばれされた際のものです。右から着物を着ている娘さん、左隣りが次弟、一番左に母が写っています。背景にケース入りの雛飾りが見えます。
下の写真を見ると、昭和49年(1974)生まれの一番下の弟が写真に写り込んでいるので、恐らく昭和50年頃ではないかと思われます。
昭和44年生まれの次弟は6歳(第二白百合幼稚園年長組)となります。お向かいの娘さんは次弟と同学年だったので5歳か6歳といったところ。
背景の雛飾りは、過去の投稿「ベランダ」で団地サイズの鯉のぼりのことに触れたことがありますが、団地サイズのものがあったようです。写真の雛飾りはケース入り二段飾り。左男雛に右女雛、二段目に三人官女と五人囃子がいます。
〝団地サイズ〟と書きましたが、雛飾りの生産者が果してどこまで団地を意識して生産したかわかりません。団地は一戸建て住宅のように広いスペースの部屋がいくつもあるわけではないので、さほど場所を取らないサイズの雛飾りが供えられました。
この娘さんには私より年上のお姉さんがおり、そのお姉さんの幼少時に購入した雛飾りなのだろうと思われます。
右側に桃の花ともう一種類の花が飾られ、こたつの上には雛祭りの御菓子が置かれています。雛あられ、菱餅、金平糖などでしょうか。
私は写真に写っていないので、私はこの時、お向かいには行っていないようです。
恐らく私の記憶にあるのは、別の年の雛祭りの時なのでしょう。確か雛あられを頂きました。少し口に放り、甘いなと感じ、そんなにたくさんは頂かなかったことを覚えています。
招かれて本人を目の前に「この度はおめでとうございます。お招きいただき、どうもありがとうございます」と口上を述べるのでしょうが、当時極度の恥ずかしがり屋の私が進んでそう言ったとは思えません。母親に促され、「おめでとう」ぐらいか、あるいは母親が言ったのだろうと思います。
当時の私の、というか男の子の関心事を考えると、友人と外で遊ぶことなどに熱中していて、女の子のひな祭りにさほど関心がなかったというのも偽らぬ事実です。だからあまり長居しなかったような気もします。
せっかくの祝いの席なのだから、親心ではありませんが、ここまで育った娘さんと家族が喜びそうな気の利いたことをもっと言ってあげられたらよかったのにと、今現在の私は後悔するばかりです。
さて引っ越し先の群馬県桐生市では雛祭りに呼ばれる機会はもうありませんでした。こちらの雛祭りは4月3日に行われます。これは旧暦と関係しています。最初、そのことを知った時、不思議な感覚を抱いたことがありました。