団地に住んでいた頃、珍しい苗字の方が何人かいて、記憶にとどめています。 どこまで実名を出してしまっていいのかという問題はありますが、珍しい苗字ということで例外的に慎重に扱ってみようと思います。下の名前は出しません。 まず「こうごう」さんとい…
かねてより行きたかった武里西口夏祭り。 「春日部三大夏祭り 第51回武里西口夏祭り」が2026年7月25、26日の2日間にわたって武里駅西口前から商店街(平成通り)を会場として開催されました。交通規制がなされ、歩行者天国となった通りを、家族連れ、友人…
今でも臭いの記憶と共に覚えていることがあります。春日部市立大場小学校1年9組の時、ある日の授業時間のことでした。 何やら嗅いだことのあるようなヘンな臭いが プァ~ンと漂ってきました。クンクン。担任の岡安美代子先生の授業よりも鼻の方に集中が行…
仙川アパートの貯水塔。足場が組まれて覆われている。手前の案内図は映画「クロユリ団地」にも同様のものが出てきた 仙川アパートの案内図 URまちとくらしのミュージアムを見学した後、かねてから訪れたかった都営緑ヶ丘団地仙川アパートに行ってきました…
URまちとくらしのミュージアムは、ミュージアム棟と旧赤羽台団地の板状階段室1棟(41号棟)及びポイントハウス(スターハウス)3棟(42~44号棟)から構成されています。団地としては初の登録有形文化財(2019年登録)です。 館内ではガイドさんが懇切丁…
団地を真上から見た配列の展示。南を意識してあるため、ドミノ倒しのドミノのようだ。板状階段室型の棟は南向きに一様に配列されている傾向にある 引き続き、URまちとくらしのミュージアムの御紹介です。展示の終盤となります。壁面には各地の公団住宅を真…
多摩平団地テラスハウス復元模型 テラスハウスの説明 私がなじんでいた武里団地のようなタイプの板状階段室(武里団地で言えば9街区)、ポイントハウス(8街区の一部)、高層集合住宅(7街区)のようなタイプの集合住宅とは異なる庭付きの集合住宅が多摩…
晴海高層アパートの復元模型 戦前の同潤会アパートから戦後の日本住宅公団の手がけた初期の頃の団地を復元したURまちとくらしのミュージアム。10階建ての晴海高層アパート(前川國男設計、東京都中央区晴海、昭和33年〈1958〉竣工、平成9年〈1997〉解体)…
戦後の薄根団地の説明。食寝分離について書かれてある 念願だったURまちとくらしのミュージアムを4月28日に見学しました。今回は戦後の住宅不足解消のために建築した蓮根団地(板橋区蓮根二丁目)の復元部屋の御紹介となります。 薄根団地の台所。手前に…
同潤会代官山アパートメントの世帯用住戸の説明 引き続きURまちとくらしのミュージアムの御紹介となります。4月28日(火)に行ってきました。ミュージアム棟の4階には同潤会代官山アパートメントの独身用住戸と世帯用住戸の部屋が復元されています。今回…
URまちとくらしのミュージアムへ4月28日(火)に行ってきました。午後1時に約20人の参加者がUR(独立行政法人都市再生機構、前身は日本住宅公団)職員の男性の方の案内で館内を回りました。 まず最初は戦前の同潤会から日本住宅公団、さらにURに至る…
URまちとくらしのミュージアム入り口。左手にスターハウスが見えます 私は団地マニア、というわけでもありませんが、子供の時期に武里団地に住んでいた関係から団地の醸し出す生活感や趣に引かれるものがあり、武里団地に限らず、団地を見ると、何とはなし…
春日部市立大場小学校4年1組の時ですから、即ち昭和51年(1976)のできごとになります。担任は氏家千恵子先生でした。 4年生という学年は、学校の授業のカリキュラムの方針で児童は自分の希望するいずれかのクラブに所属することになります。1つの教室で…
武里団地の冬というと、思い出すのが霜柱です。 武里団地の芝生の、特に芝生の生えていない箇所の土の表面が盛り上がっているのを見て、氷の力強さのようなものを感じたものでした。 子供の頃、大場小学校1、2年生の頃は大人の今と違って、背が小さく地面…
在りし日の武里団地9―13。9―12から見た風景(2016年9月9日、Q街区撮影、以下同) 以前にも「団地の正月」のタイトルで書きましたが、改めて稿を起こしたいと思います。 特に屋外の正月風景について記します。 最近、とみに正月風景が消えたように感じて…
昭和44年か45年頃の上野動物園。背後に象のはな子とインディラがいる。左側の子供がQ街区。撮影は母 テレビのニュースを見ていたら、上野動物園のジャイアントパンダの大勢の見学が取り上げられていました。何でも来年1月に中国に返還されるためとか。これ…
この10月18日の土曜日、特急りょうもう号で群馬県から東京へ向かう途中、埼玉県春日部市武里団地を見ました。席が右側の窓際であれば、いつも車窓から武里団地を見るのが習慣です。 この前も、やはりなつかしさが先立ち、東武動物公園駅(停車駅)を過ぎると…
2025年9月17日、入間市から埼玉県を横断する形で埼玉東端に位置する春日部市へ車で向かいました。武里団地に着くと徒歩で9街区跡地、千間堀商店街を見て回り、6街区から4街区を通過してカスミまで戻りました。 麺カフェひまわりで夕食を取って帰ろうと思…
東京に住んでいた祖父母は亡くなると、埼玉県郊外の霊園に墓地を買い、そこに永眠しました。入間市の入間メモリアルパークです。毎年、秋の彼岸になると、群馬県からふらりと墓参りに出かけます。関越道を走らせると、いつも関東平野の広さ、空の大きさを実…
9月に入りましたが、真夏のような暑い日々が続きます。 私が春日部市武里団地9―12に住んでいた頃の印象深い思い出の1つに上尾市の流れるプールがあります。 恐らく家族で2度ほど行ったように思います。上尾市なので自動車がないと行けません。父親と母親…
まだ暑いうちに書いておかねばと思っていたのが半ズボンのことです。 私たち還暦前後のおじさんたちにとって、半ズボンと言えば、膝小僧まで丈のある半ズボン(ハーフパンツ)ではなく、脚の付け根下に丈があり、脚全体がむき出しとなるタイプの半ズボンです…
8月5日付の上毛新聞(群馬県の県紙)を読んでいたら、「『ポッキー』立体商標に」の見出しが目に飛び込んできました。江崎グリコが発表しました。 チョコレート菓子ポッキーの形状(細長い棒のプレッツェルにチョコレートをコーティング)が特許庁に立体商…
引き続き、恐怖にまつわる話です。 武里団地に住んでいた頃、はっきり覚えていないのですが、恐らく私が春日部市立大場小学校1、2年生ぐらいでしょうか。即ち昭和48、49年(1973、74)頃のことかと思います。確か肝試しがあったように思います。 この記憶…
暑い日々が続きます。 昔は多少なりとも暑さをやわらげるためにいろいろと工夫しました。 思いつくものを挙げると、風鈴(武里団地時代には吊った記憶がない)、すだれ、スイカ、円形の子供用プール(確かうちにありました)、夕涼み、怪談、肝試しなどです…
行きつけのうなぎ屋さんのうな重。イメージ写真です(2025年6月20日、Q街区撮影) 夏の暑い日になると、土用丑の日の声が聞こえてきます。すると平賀源内の戦略に乗せられ、体内のスイッチが入るのか、猛烈にうな重が食べたくなります。 ネットで調べると…
ありし日の9―12の前の路上。昭和40年代、50年代には写真右端の駐車スペースはなく、白線から右側は芝生になっていた。私が昭和46―49年、白百合幼稚園から大場小学校1、2年の夏になると花火をした(2011年8月8日、Q街区撮影) 5月31日は梅雨の走りのよ…
「寿商店」の看板を掲げた街灯。その向こうに住宅の建つ辺りに眼科医院があった。位置的には寿商店の東隣り、9―15前(道の右側)になる。春日部市立大場小学校低学年の頃に通院した(写真は2013年9月19日、Q街区撮影) 花粉症からの延長で、いまだに目がか…
幼馴染の誕生会。バックに兜と五月人形が飾られる。左の子供がQ街区、右の子供が幼馴染のY君。机上のプレゼントは私が持参したもの。ケーキのことは今も記憶しているが、背景のことは覚えていない。幼馴染のお母さんは左端に左半身だけ写っている方。私の…
私は群馬県桐生市の山々を巡るのが好きなのですが、4月7日に吾妻山(標高481メートル)に川内町一丁目の小倉観音堂の裏手(あまり一般的な登山道ではない)から登った際、途中でツツジが咲いていました。もう少しすれば、満開となり、さぞ美しいのだろうと…
武里団地に住んでいた昭和40年代から50年代にテレビCМで日焼けしたおじさんが伐採した丸太の上で「がんばんべえ」と言うと、もう1人の男性が「だちかんぞ」と返すシーンが流れました。 私の記憶の中で「だちかんぞ」のインパクトが強く、耳の奥にずっと残…