ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

ハワイからの絵はがき

 昭和49年(1974)の春日部市立大場小学校2年2組の時、同級生の男の子がハワイ旅行に出かけました。
 そのことが強い印象を伴って記憶に残っているのは、ハワイから絵はがきをもらったからです。外国から絵はがきをもらうなど初めての体験でした。
 その男の子は確かH君と言いました。2年2組の時の友人は8―1のI君、7―1のA君、そして何街区か忘れましたが、H君でした。
 H君は端正な顔立ちをして、利発そうな子供でした。私は今でもその顔と声を覚えています。別稿「開校記念日の謎」で掲載した集合写真で言うと、最後列の右から3人目の男の子です。ちなみにA君はやはり最後列の右から5人目、I君は前から3列目の右から5人目です。
 ある日、教室でA君とH君が私の目の前で言い争いをしていたことを覚えています。私が両方と遊ぶ約束をしたため(恐らく)、私と遊ぶのは自分だと主張して起きた言い争いでした。
 そのことを帰宅後に母親に話したら、母親は「へえ、そうなの」と(ほほ笑ましい)といった感じで笑っていました。
 H君は夏休み(のはず)にハワイ旅行へ出かけました。ハワイ旅行と言えば、今でこそありきたりの外国旅行となりましたが、昭和49年当時では〝高嶺の花〟です。まあ宇宙旅行に行くようなもの。それぐらい遠い異境の地でした。
 「絵はがきが来てるわよ」と母親に言われ、その絵はがきを受け取りました。H君がハワイで投函した絵はがきでした。
 「ハロー」(ディアではなかったと思う)という挨拶で始まる文面でした。残念ながら、その絵はがきはもう手元にありませんが、当時の私は、外国切手が貼られて英語の入った異国情緒の漂う絵はがきを手にしながら、何か遠い遠い手の届かないような海の向こうの外国から送られてきたことに不思議な感覚を持ったことを覚えています。
 絵はがきは片面がハワイの風景写真(何の風景か忘れました)、もう片面の半分に私の住所・名前、もう半分にボールペンか万年筆かで横書きの文章が書かれていました。
 文面は忘れてしまいましたが、恐らくハワイでの旅行先の観光地や景色のこと、それを満喫しているようなことが書かれていたのだと思います。2学期での再会を約したような文面ではなかったのかと推察(憶測の域です)されます。
 その後、3年5組へ進級し、A君とまた同級生となりましたが、H君とI君とはクラスが分かれてしまいました。I君とは4年1組と5年1組(クラス換えなし)の時にまた同じになりましたが、4年以降、H君とA君とは会うことはありませんでした。
 ハワイというと、H君の絵はがきを今でも思い起こします。

 あの昭和49年度の1年間、同じ教室で同じ先生に教わった同級生たち。あれから半世紀が経過しようとしています。

 H君はじめ2年2組のみんなが元気でいてくれることを祈るばかりです。