大場小学校4年生の3学期終了間際、つまり昭和52年(1977)のことです。
1人の同級生の男子が転校していきました。
転校先は聞いたかもしれませんが、忘れました。
か細い記憶だと、東武線沿線のせんげん台より南のどこかだったと思います。
苗字はS、名前はT君です。9―11に住んでいました。
少し低い声(ややだみ声に近いか)を出し、細い目の特徴的な、私よりはやや活発な男の子でした。
私自身がおとなしいタイプだったので、そのS君とはそんなに(というかほとんど)話したことはありませんでした。
転校に際し、みんながノートに彼のサインを求めていました。私もサインをお願いしてノート表紙に彼の横3文字の名前を書いてもらったことがあります。
その後、私も小5に上がり、1学期終了と同時に転校してしまったのですが、確かあれは21歳の時でしたか、テレビの深夜放送(民放)を見ていたら、画面の中の若い男の子が次々と名前を名乗りました。その中に偶然にも見た顔が瞬間アップで写され、「Sです」と彼の苗字を口にしたのです。
S君だとすぐにわかりました。あまりない苗字、そして特徴的な目と声。白いテニスウェアを着用し、さわやかな感じの風貌になっていました。驚きました。その番組は大学のサークルを紹介する5分程度の短い番組でした。紹介されたサークルは立教大学(東京都豊島区)のテニスサークルでした。
立教大の学生になっているとは。そしてまさかテレビで再会するとは。しかし、そんな経験をしたのはそれが最後でした。
武里団地を引っ越していく子供たち。それは親の仕事の都合、住宅を建てたから、また家庭の事情(うちは群馬の祖父母が倒れ、長男の父親が家に入った)などが挙げられましょう。
さて、そんなS君も私も50代半ばを過ぎました。きっと家族を持ったことでしょう。どのような仕事に就き、どんな人生を歩んできたのか。何を日々の楽しみとし、生きがいとして暮らしてきたのでしょう。
元気であることを祈るばかりです。