「ユネスコ村」。
昭和50年(1975)4月15日、大場小3年5組の時、遠足で行きました。風景の詳細や何をしたのかなどの記憶はぼんやりとしています。とても残念です。
ユネスコ村は現在はもうありません。Wikipediaによると、ユネスコ村は昭和26年(1951)から平成2年(1990)にかけて埼玉県所沢市にあった西武鉄道所有の遊園地です。日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟したことを記念して開園したようです。その後、管轄や名前が変わり、平成18年(2006)に閉園しました。
ユネスコ村の中には象徴的なオランダの風車、トーテムポール、メリーゴーランドが園内にありました。この中で私が記憶にあるのはオランダの風車です。
海外旅行が今で言う宇宙旅行に行くのと同じ感覚で、とても高額な時代。国内にいながら外国の風景を目にすることができるのがユネスコ村のよさでした。しかし、私がユネスコ村のことを書けるのはこの程度です。
掲示の集合写真は昭和50年(1975)4月15日(火曜)、ユネスコ村で撮影したことが裏書(亡き母親の筆跡)からわかります。私は大場小学校3年5組でした。児童42人(男子23人、女子19人)が写っています。最後列の右端の男性は担任の寺沢重喜先生です。
集合写真は階段を利用して雛壇にして撮影されています。左側には花が咲いています。風車前で撮影したことがわかります。下の風車写真のフェンスのデザインとその下のすぼんだ形が同じです。
全員が体育着の帽子をかぶっています。水筒を肩から下げています。児童全員に共通しており、学校から指示があったのでしょうか。服装は長袖を着ているので裏書の日付はなるほどとうなづけます。私は前から2列目、左から4人目の男児です。
最前列左から3番目の男の子はアニメ「ど根性ガエル」のぴょん吉のシャツを着ています。彼はこのぴょん吉シャツがお気に入りだったようで、よく着用していました。白状すると、私はぴょん吉シャツがほしくて羨望の眼差しで見てました。
別の記事で書きましたが、私の左隣りの男の子のS君とは発明家になろうと誓った仲でした。とても穏やかな性格の男の子でした。別稿で触れましたが、S君が拾った財布を交番に一緒に届けたことがあります。
前から4列目左端の男の子が学研マニアのT君。学研の図鑑をよく読み、知的な男の子でした。8街区から来ていた子で、1度か2度家に遊びに行ったことがあります。読書面でかなり影響され、それまでお飾りだった学研の図鑑を読むようになりました。刑事ドラマ「太陽に吠えろ」を見るようになったのも彼の影響です。
男子の顔も覚えていますが、女子の顔も覚えています。みんな懐かしい顔ぶれです。
埼玉県に住んでいた頃がどこまでもどこまでも懐かしいです。