ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

8街区の児童が多い―5年1組③―

 昭和52年度の春日部市立大場小学校5年1組(関根岳是先生、児童数37人)は、前年度の同小4年1組(担任、氏家千恵子先生、児童数40人)からクラス替えなしで上がりました。
 この前の投稿で5年1組の児童数が37人と記しましたが、私のイメージでは40人ぐらいかなと思っていたので、妙に少ないなとも頭をかすめました。
 そこで4年1組と5年1組との名簿を比較してみました。私の手元に名簿が残されているのはこの4年1組と5年1組のみで、1~3年の名簿はもうありません。

昭和52年度の春日部市立大場小学校5年1組の居住街区。8街区が22人、9街区が14人、7街区が1人。8街区が多い(Q街区所蔵)

 4年終了段階で転校してしまった男子児童S君のことは別稿「テレビで再会」で紹介しました。実はそれ以外にも転校(恐らく)している児童がいたことがわかりました。
 自力で思い出せる記憶の中ではS君1人だけだったのですが、ほかにも同じイニシャルの男子のS君、それと女子のKさん、Mさんも5年の名簿にはいなくなっていました。
 4人の児童がいなくなり、4年1組の時に40人いた児童が36人になりました。ここに5年1組に上がった段階で転校生のKさん(名簿の№23)が加わり、計37人となりました。
 前置きが長くなりましたが、今回は名簿を使って居住街区を示したいと思います。但し、9街区と違い、8街区は取り壊されていませんから、現住の方ももしかしたらいるかもしれません。そこを配慮して、部屋番号は省きました。
 改めて名簿を調べてわかりましたが、以外と8街区の児童が多いとう事実がわかりました。
 5年1組の名簿によると、8街区居住者が22人(男子15、女子7人)、9街区居住者が14人(男子7、女子7人)です。例外的に7街区居住者が女子に1人います。
 8街区居住者が多いことがわかります。特に男子児童に顕著にみられます。 
 考えられる理由は、①8街区は号棟が多い(9街区は15〈9―3がないので実質14棟〉まで、8街区は26まである)ので必然的にそうなる。②たまたま4年1組と5年1組に8街区の子供が集中しただけ―のいずれかでしょう。
 私は①の要素が強いと考えます。8街区と9街区の12棟の差は大きいです。分母が多い分、必然的に5年1組に8街区の児童が多くなったのだろうと考えます。

 5年1組の数値を、5学年全体に及ぼすのは推測の域を出ませんが、同様の傾向がみられたのではないでしょうか。

 最後に。4年1組から5年1組に上がる段階で4人の児童が大場小から転校しました。この4人の転校というのも結構少なくない人数だと思います。これが、団地の特色でもあるのでしょう。転校する主な理由は親の仕事の転勤に伴うもの、家を新築して引っ越したものが挙げられるでしょう。

 団地居住者の中には「団地は一時の借り住まいであり、やがては一軒家を新築して出ていこう」という意識の方もいたものと思われます。

 一方で特段の理由がなければ、団地にずっと住みたいという意識の住民もいたことだろうと思います。当時住んでいた子供だった私の意識の中に団地をやがて出ていくのだという気持ちはありませんでした。両親も同様だったと思います。急きょ引越が決まるまで、そのような話題は出たことがありませんでしたから。

 私に経済的余裕があれば、武里団地の一室を借りて、月1回は1泊してノスタルジーに浸りたいところですが、さすがにそんな余裕はありません。