ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

学研の科学と学習(上)

 1960年代から80年代にかけての小学生たちの中には学研の『〇年の科学』と『△年の学習』を定期購読した方が少なくない数いるのではないかと思います。読者が1年生なら『1年の科学』、4年生なら『4年の学習』というように学年が上がることに本の表題も変わります。
 私も定期購読者の1人でした。但し、科学か学習かいずれかを取っていました。経済的に余裕のある家は両方を取ることもあったようですが、大抵は科学か学習のいずれかを取ったのではないでしょうか。
 うろ覚えなところもありますが、私の科学と学習の体験を紹介したいと思います。
 ウィキペディアによると、学習と科学は昭和21年(1946)に創刊されたようです。学研こと学習研究社は東京都大田区上池台4―10―5に本社があり、全国に54支社ありました。

学研の支社一覧(Q街区所蔵、『学習・科学 6年の読み物特集』〈1978年〉より)

 あくまでウィキペディアの数値ですが、科学と学習の売上部数は昭和54年(1979)に月販670万部に上りました。〝ドル箱〟だった科学と学習のほかにもいろいろな子供向けの本を出していました。
 本のタイトル通り、科学は理科を中心とした内容、学習は国語・社会といった科目が中心だったように思います。具体的な内容をほとんど忘れてしまいましたが、連載漫画も掲載されて、子供にあきないよう工夫されていました。 

学研はさまざまな本を出版していました。武里団地にはもういませんでしたが、月刊コミック誌『どっかんV』は創刊当時に購入した覚えがあります(同上)

 そして科学と学習の最大の魅力は付録(科学だと実験系のもの)にあったかと思います。巻末に次号の予告が掲載されていて、次号が来るのを楽しみにしていました。
 私がいつから科学と学習を取るようになったのかと言いますと、結構早い時期から取ったように思います。そのことがわかるのは夏に配布された『読み物特集』の記憶があるからです。『2年の読み物特集』(昭和48年〈1973〉)を開いた記憶は確実にあるので、少なくとも2年生からは購読していたはずです。
 私の場合、科学をしばらく取ると次に学習を取り、また科学にして、というように交互に購読していました。別に決まった期間はなく、大体数カ月から1年、2年というスパンで変えていたような気がします。当時母親から「今度は学習に変えてみる?」と尋ねられ、「うん」と返事をしたような記憶があります。
 ウィキペディアによると、驚いたことに当初は学校で販売・配付されていたとのことです。しかし、昭和47年(1972)から「学研コンパニオン」と呼ばれる方による家庭・学校への訪問販売制度に移行しました。

 先述の驚異の部数を下支えしたのが「学研コンパニオン」でした。確かに科学と学習を配達する学研コンパニオン(当時はその呼び名を知りませんでした)の方が武里団地にもいらっしゃいました。
 確か9―13か9―14のいずれか(どちらかというと9―14かもしれない)に学研を配達する女性の方がいらっしゃいました。確か3階か4階辺りにいらっしゃったように思います。
 通常は自宅まで届けてくれるのですが、たまに届くはずの期日を超えると、我慢できずにお宅まで取りに行ったことが何回かありました。母親に住所を教わりました。確か歩いてトンネル公園側から回って赴きました。
 階段を上がり、チャイムを鳴らすと、女性の方が出てきます。当時の私の目から見て、母親世代と変わらないような気がしました。30代半ばぐらいでしょうか。明るい感じの方でした。
 昭和52年(1977)に群馬県桐生市に引っ越しました。科学と学習の定期購読は続きました。中学に入学する段階で学研の『中1コース』か、もしくは小学館の『中1時代』に変わりました。

 この科学と学習を読んだことによる教育効果ですが、残念ながら私自身の学校の成績が向上したとは言えません。どちらかというと夏休みに配布された『□年の読み物特集』の方で読書の習慣がより身に付いたという程度でしょうか。
 それはともかく、残念なことに私の手元にはもう科学も学習が1冊も残されていません。雑誌系というのは溜まると処分というのが流れでした。何冊かでもとっておけばよかったなと後悔することしきりです。