あれは大場小学校2年生の時でした。はっきりと覚えている理由は「2年生の時、犬に噛まれた」と何回か人に話し、自身の心の中でも繰り返したからでした。
とすると、昭和49年(1974)のことになります。
今でこそ全く見ることができなくなりましたが、当時は野良犬が町中を普通に歩いていたものです。
外を歩くと、野良犬が町の通りを歩いている。それは日常の風景でした。それが長じるに従い、いつのまにやら街路から野良犬の姿が消えてしまいました。
子供の頃は遊びに出ると、野良犬に恐怖感を抱いたこともあるので、子供心に姿が消えてそれはそれでよかったという気持ちがありました。
しかし、大人の今、考え直すと、野良犬はきっと保健所に回収され、きっと安楽死させられているのかと思うと複雑な気持ちになります。
野良犬が普通に街路にいた頃の話です。
朝、大場小に登校し、授業が始まるまでの時間、校庭に出て遊んでいました。寿商店の裏手に当たる校庭の片隅だったかと思いますが、そこに野良犬(だろうと思う)が1匹入り込んでいました。
野良犬は大型犬ではなく、柴犬ぐらいの大きさだったかと思いますが、小2の自分には決して小さくありません。色は黒だったかな。やたら吠えて、おとなしい犬ではありません。
何人かの児童たちが野良犬を遠巻きにし、野良犬を眺めてました。
同級生のS君もいて、彼はジャングルジムの上にいたように思います。S君は9―10に住んでいました。
野良犬は児童たちの方に走り寄ったり、また別の児童の方に行ったりしていました。
よせばいいのに、私はその様子を眺めていたのです。
そして、あろうことか野良犬は私の方にも寄って来ました。そのまま私が動かなければ、野良犬も反応することはなかったのでしょうが、何せ小2です。恐怖感が走り、(怖い、噛まれる)と思い、後ずさりをし、犬に後ろを見せて走ってしまったのです。
「あっ、走るな」と、その瞬間、男の子の声が飛びました。多分S君の声だったと思います。
私は全力で走り、その後ろを野良犬が追いかける。すぐに追いつかれ、私は尻をガブリと噛まれ、そのまま前へ転倒してしまいました。
短い間だけだったと思いますが、犬は転倒した後も私の尻を噛み続け、やがて離れて行きました。すでに私は泣いていました。
S君がその後「昔だったらあんな犬、よく蹴とばしたけど、今はもうできない」と慰めてくれました。
放課後まで私は授業を受け、帰宅後に母親に犬に噛まれたことを訴えました。「見せてごらん」とスボンを下ろすと、果たして噛み跡が青く残っていました。
母親は大場小に電話連絡し、事情を話し、野良犬が校庭に入り込まないように訴えたように思います。それはモンスターペアレントがクレームを付けるという口調ではなく、あくまで事情を伝え、対策をお願いするというものだったかと思います。当時は学校教諭に対する敬意は今と比べものにならないほど強いものでした。電話する傍で私は聞いていましたから。
その後、私の中に犬恐怖症が生まれ、それはしばらくの間続きました。しっかりトラウマになったわけです。
転校して群馬県に移りましたが、小6の時に友人と赤城山を目指してサイクリングに出かけました。その途中、人けのないダート道で森の中から大型犬が出てきました。続けてもう1匹、2匹。友人は「大丈夫だよ」とそのまま自転車を押して進みましたが、私は足がすくんで歩けません。犬が前足をあげて、友人にとびかかりました。私は怖さの余り、友人を置いて逃げてしまいました。
待っていると、ほどなくして友人が戻ってきました。私はホッとしました。この犬は「狩猟犬だったのが山犬になったのではないか」ということでしたが、そのぐらい小2の時の強烈な体験がしばらく私を支配し続けていたわけです。
克服できたのは高校生ぐらいの時でしょうか。
街路を普通に野良犬が歩いている、そんなことも忘れかけています。
今の子供たちには考えられないかもしれません。