「締め出し」ついでにドア周辺のことに触れておきたいと思います。
ドア右横下(お向かいだと左側になる)には牛乳入れがありました。子供の当時はあまり意識しませんでしたが、子供目線の高さなので、改めてここにあったか、という感じです。
写真のように開閉できる蓋があり、ここに空き瓶を入れておくと、次の日には新鮮な牛乳の入った牛乳瓶が置かれました。うちは2本取っていたような気がします。
これは一定の年齢以上の方は御存知だと思いますが、どこの地域でもこうした牛乳店があり、契約すると、空き瓶と牛乳入りの瓶を交換して置いて行ってくれました。
私の転校先の群馬県桐生市でも同様であり、こちらは田中牛乳と福真牛乳が主でしたが、武里団地では雪印辺りの大手メーカーが席けんしていたのでしょうか。
それと類似してますが、ヤクルトやエルビーといった乳酸菌飲料も契約して飲んだ時期があります。このミルクボックスが使われたどうか記憶にありません。
目を転ずると、ドア右斜め上に標識があります。世帯主の名前を書くのですが、これはそれぞれ自筆で記しました。公団側から特に表札を支給されたわけではありません。
次にドア左側。しゃがんだ辺りに金属ドアがあり、ここを開けると、手前に水道計があり、その奥にガスメーターがあります。金属の管が走っており、子供の時分には何が何だかよくわかりませんでした。
ほかでも書きましたが、私はまだ幼稚園ぐらいの頃、この中に仮面ライダースナックを3袋ぐらい隠し入れておいたことがあります。カードだけほしくて、スナック(甘くて好みじゃなかった)は食べたくなかったからです。当時、こうした子供は結構いて、それなりに社会問題になったようですが、私も当事者の一人だったわけです。
このドア前は一種の社交場であり、私の母親はよくお向かいのIさんのおばさんとドア前で話していたのを覚えています。私の母親は東京の中野区野方の出身なので、割と開けっぴろげで、ドアを開け放しにしておいたものでした。
階段はコンクリートむき出し(滑り止めあり)であり、半ズボンのまま座ると尻がひんやりとしたものでした。
踊り場からは外を見ることができました。幼い頃の私は背が届きませんでしたが、成長するに従い、次第に外が見えるようになりました。
大分前になりますが、大人(20代)になってから久々に団地を訪れた際、団地の階段や通りの幅、団地商店街までの距離、近隣公園の広さなど、サイズの小ささに(こんなもんだったけ)と改めて驚いたことがあります。
自分がそれだけ大きくなってしまった証ですが、昔感じていたサイズ感がどこまでも懐かしく、またいとおしくもあります。