「まっすぐ、まっすぐ」
「右、もうちょっと右」
「少しだけ左」
「はい、そこ」
子供たちのにぎやかな声が飛び交います。
スイカ割りは夏の行事です。
目隠しをした上で、冒頭のような周囲の指示に従って、最終的には自身の判断で台に置かれたスイカ目がけて棒を振り下ろします。
スイカが割れたら成功、外したら失敗。
夏の行事として行われました。私は一度だけ参加したことがあります。
私も目隠しをして、数メートルを歩きました。
幼馴染のK君もいたはずです。写真の左奥にK君のお母さんが写っています。
K君のお母さんの手前に写っている坊主刈り2人の男の子はT君と言い、兄弟(白いシャツに細かい格子縞の半ズボン)です。
双子の兄弟(顔が違うが一卵性)です。いつも兄弟2人で一緒にいたように思います。おとなしい私と比べると、活発な男の子たちでした。
彼らは私より1つか2つぐらい年上でした。幼い頃は接触がわずかにありましたが、長ずるに従ってなくなりました。インパクトが強いので、私の方は覚えていますが、向こうの方は私のことなど忘却の彼方であろうと思います。
奥の女子は左の子がWさんと言ったかな。その右隣りのMさんは白百合幼稚園と大場小4年・5年の同級生でした。勉強ができ、聡明な女の子という印象があります。その右隣の小柄なNさんは白百合幼稚園の時に同じクラスになったことがあります。
このスイカ割りは毎年行われたのか、それともこの1回こっきりなのか、よくわかりません。
一度きりの体験を思い返してみます。まず目隠しをすると全く見えません。方向感覚もなくなります。全く初めての体験でした。
にぎやかに周囲から飛ぶ指示を聞いて、徐々にスイカとの間合いを詰めたように思います。
そして一振り。みごと外しました。スカン、(あれ)という感じです。
白百合幼稚園の時の餅つき体験と同じように、私の中に物足りなさが残りました。でき得ることなら、スイカを大上段から真っ二つに割りたかったという思いです。
その後、誰かがスイカを割りました。しかし、それはちょっとズルくて、一度棒をスイカの上にちょこんと置いて、場所をしっかりと確認してから、大上段から振り下ろしたように記憶しています。当然、割れます。
割ったスイカはみんなで分けて食べました(のはず)。しかし、食べた記憶が抜け落ちています。食べないわけがないのですが…。
こうした体験をさせてもらい、この歳になって改めてよかったなと思います。
武里団地は真夏と青空がよく似合います。