団地で暮らしていた思い出の1つにベランダがあります。
武里団地の昇降口とは反対側の南に面した側に各戸にベランダがそれぞれありました。
このベランダは生活に密着したいろいろな思い出があります。
とは言っても忘れてしまったことの方が多く、覚えている限りのことを記しておきたいと思います。
ベランダのことで、まず思い浮かべるのはフェンスのペンキの塗り替えです。これは玄関ドアと同じで、計画的且つ定期的に塗り替えられたのだと思います。子供の頃、実際に職人さんが塗り替えているのを見たことがあります。
何の色(焦げ茶色とか、ベージュなど?)かまではあまり覚えていませんが、ペンキ塗り立てだと、フェンスに触れないように親にも注意されていました。
ただ、そこは子供なので、さわるなと言われると、どんなものだろうと1回だけさわったことがあります。人差し指でさわると、まだ表面がやわらかく、自分の指の跡が残ってしまいました。
ベランダへの出入り口は台所の真横(私の家だと台所右側、隣宅だと左側になる)にありました。どういうドアだったか忘れましたが、そこを開けると、わずかな面積ながらもベランダの空間がありました。
長方形のコンクリート地面に、水抜きのための側溝があり、コーナーに水が抜けるための穴がありました。上階と下階を貫通する管が通っていました(確か)。
ベランダのフェンス関連で言うと、5月の端午の節句の折に団地サイズの鯉のぼりを飾った記憶があります。よく群馬で見るポールがあってドでかい鯉のぼりが悠然と泳いでいるようなものではなく、団地ベランダにも飾ることのできる小さな鯉のぼりです。
小さいと言っても、鯉は人の背丈ぐらいはありました。最上部にお父さん(1番大きい、青色)、その下にお母さん(2番目に大きい、赤色)、最下部に子供(一番小さい)の3匹です。
童謡「こいのぼり」の歌詞では「大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供たち」ですが、どういうわけか私の中では「お母さん」鯉の存在も記憶づけられています。
これをどのように飾るかというと、やはり短めのポールがあり、鯉を付けて、フェンスを利用してくくりつけます。フェンスに対して、斜めにポールを出して、フェンス外に垂らすわけです。
こうした団地サイズの鯉のぼりは当時は時期になると、どこの家でも掲揚しており、団地のベランダを彩ったものです。
ベランダは隣りとはパネル1枚の壁で隔てられていました。玄関ドアの真向かいの家のベランダがパネル向こう側にあることになります。
いつだか隣りのIさんのお姉さん(私より3つか4つ上か、当時は小学生低学年か中学年か)が、「家に入れない」と言って、うちのベランダのフェンス続きのコンクリート塀の細い最頂部を四つん這いでお姉さん宅のベランダに移ったことがありました。
もちろん落ちたら大変な落下事故になります。私の母親が手で支え、声をかけながらお姉さんを慎重に向こうのベランダに渡らせていたように思います。
うまくお姉さんが隣りのベランダに下りました。ベランダドアは外から入れたのでしょう。そんなことが1度きり(?)ですが、ありました。私がこれを記憶しているのは、落ちたら大変なことになるから(怖い)という強烈なインパクトを伴って刷り込まれたのだと思います。
それから男の子には覚えがあるかと思いますが、ベランダは捕獲したザリガニの保管場所でもありました。ただ2、3日すると死んでしまって腐臭を発して臭かったことを覚えています。
またカブトムシやクワガタムシの飼う場所でもありました。カブトムシの透明な飼育ケースが置かれ、果肉を食べた後のスイカをケース内に入れて置いたものです。
ベランダから見える風景は真っ正面に9ー11があります。西には谷中小の正面玄関(?)の階段があり、児童たちが昇降する姿が見えました。
母親の立場からすると、ベランダはフェンスに布団を干したり、またベランダ上から吊るされていた物干しざおに洗濯物を干す場所でもありました。団地居住の頃の母親は専業主婦でした。
団地に関係のない第三者から見ると、ベランダはコンクリート壁と金属のフェンスに囲われた空間に過ぎません。
しかし、武里団地に住んでいた者にとっては、大切な思い出の空間です。