ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

蛇ドロボー!

昭和46年〈1971〉7月か。子供の背景は9街区西側の水田地帯。夜になるとカエルの合唱が聞こえた。その後、水田は埋め立てられ駐車場に。私の父親が車を駐車させていた。今は住宅街に変貌して昔の面影もない。当時の武里団地の周辺は田畑が広がり、生き物がまだ息づいていた。子供の立つ場所は9―12号棟前の芝生。右側の子供がQ街区。左の幼馴染は白百合幼稚園の制服を着用。芝生の上に園児の持つバスケットが見える(Q街区所蔵)

 「蛇ドロボー!」

 と呼ばれた時期がありました。

 昔なつかしい、というのではなく、遠い苦い記憶です。

 今でも砂を噛むというのか、物を食べた時に口の中で砂利を感じた時のような忸怩たる思いが甦ることがあります。
 事の発端は、近くの〝ドブ川〟での出来事でした。

 周知のように武里団地9街区は武里団地の中で最後に完成した街区でした。昭和43年に完成し、入居を公募開始しました。余談ですが、私の両親は倍率何十倍という状況下でダメ元で申し込んだそうですが、思いもかけず抽選(通知ハガキが来る)に当たり、喜んで団地に入居したと後から聞きました。
 それはともかく、9街区は団地の一番端にあります。昭和46、47年頃、私の住んでいた9―12号棟西側一帯は水田地帯でした。
 歩道のフェンス向こうにドブ川が南北に流れ、その向こうが一面の水田地帯でした。〝ドブ川〟と書きましたが、農業用水路です。しかし、当時は「ドブ川」(水が汚かったから)という認識だったので、そう呼ばせていただきます。
 ドブ川はコンクリート製の箱型溝の水路で、水路の上には等間隔で四角柱(コンクリ製)が渡してあり、私たち団地っ子はその上を渡って向こうへ行ったり、戻ったりと危険(?)な遊びをしていたこともありました。
 そんなある日、弟が「蛇が捕まった」と団地の家(3階)にいた私のところに知らせに来ました。弟が歩けて話せる状態なので3、4歳とすると、私が6、7歳。だから昭和47年か48年頃でしょうか。
 「蛇」という言葉に反応した私は、すぐに弟に案内されて、蛇が捕まった現場へ。

 ドブ川ほとりの現場に着くと、周囲には誰もいません。

 雑草の上に長方形の箱が置かれていました。

 「蛇はこの中にいるよ」と弟。
 本当に中にいるのかどうか。あろうことか(恐らく私が)箱を開けてしまったわけです。すると蛇がニョロニョロとはい出てきました。
 生まれて初めて本物の蛇を見た瞬間でした。

 蛇はドブ川の縁をはい、あっという間にドブ川側壁の穴(?)に消えてしまいました。私たちが呆然としていると、あとから子供たちが次々とやってきました。

 「蛇は?」と大騒ぎとなりました。

 「どうしたの?」と尋ねられ、恐らく私が事情を話したのでしょう。

 「逃がしたみたい」と非難の視線を浴びました。
 それからです。
 「蛇ドロボー」と言われるようになりました。

 家の外へ出るたびに言われ、あろうことか隣りのIさんの家の子供(女、男、女の3人姉弟)にもそう言われました。外に出づらい、辛い日々が続きました。
 しばらくそんな状態が続いたでしょうか。
 ある日、母親と私と弟の3人で買い物へ出かけるため、1階の昇降口を出たところで、隣りのIさんの一番下の女の子が立っていて、私たちを見るなり「蛇ドロボー」と言いました。すると弟が泣き出してしまいました。
 さすがに見かねた母親が「もうそういうことは言わないでね」とたしなめました。私も暗い気持ちに。

 そのまま3人で買い物へと行ったはずですが、その後のことは覚えていません。
 一件の顛末はこんなところです。
 団地と言っても〝団地村八分〟みたいな強烈な体験でした。幼稚園年長か小1ぐらいの自身の不注意とは言え、怖いですね。

 もう1つ蛇事件を通して言いたいのは、団地周囲には蛇の棲む環境があったということです。餌のカエルは一杯いました。

 元々水田地帯を埋め立て9街区ができたわけです(その後の地盤沈下の原因)。言い換えれば、蛇の生息環境に私たちが闖入したと言ってもいいでしょう。

 山へ登って、熊に襲われる話はよく聞きますが、熊の生息環境に登山者が闖入するわけですから、熊避け鈴を提げてないと出会いがしらで襲われる可能性は高くなります。それと同じ構図です。
 蛇に限らず、団地周辺は自然がまだまだあり、山こそありませんが、林や田畑、農家が点在し、爬虫類・両生類・昆虫類がたくさん生息していました。
 弟の虫好きはそんな環境で培われたものです。虫の種類をよく知っていました。

 しかし、その後、武里団地で蛇を見ることはありませんでした。恐らく農薬や都市化で姿を消したのでしょう。

 最近、蛇事件のことを弟と話す機会がありました。弟は記憶にない由。私ははっきりと状況を覚えているので、顛末を説明しました。
 「あの蛇は何の種類だったのだろうね」
 「マムシではないでしょう。青大将かな」
 遠い、遠い幼少期の苦い思い出です。