ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

故郷喪失―武里団地着工60周年記念事業⑪ 講演会―

 講演のまとめです。どこに落としどころを持って行こうかと悩みました。
 次の4点を挙げました。
 ①農村風景の中に突如として出現した巨大な人工の街。武里団地は、全く歴史的脈絡のないところに水田を埋め立てできた町でした。

 近未来を感じさせる団地は、SFドラマの舞台・ロケ地として利用されました。このことは原武史さん(歴史学者)も指摘していますが、私も原さんの本を読む前「ウルトラセブン」を見ながらそう感じていました。例えば、ウルトラセブンの「アンドロイド0指令」「第四惑星の悪夢」「あなたはだあれ?」などです。ロケ地に使われたのは東京の公団住宅らしいですが、DVDで見返す度に懐かしさを覚えます。

 ②当時は最先端のライフスタイル。武里団地は、周辺の農村と隔絶された若い夫婦世帯の居住社会でした。大人には大人の事情があったかと思いますが、そこで生まれ育った子供たちにとっては公園と植栽の豊富な楽園でした。もっとも近隣公園に痴漢が出没し、母親に注意されていたという側面もありました。
 また団地住民は少なくとも外観からは貧富の格差を感じさせません。同じ間取りは「平等」「均質」です。そこに差別がない、また生じにくい。原武史さんが指摘していますが、日本における団地造成は旧ソ連の集合住宅の影響を受けているそうです。

 私は群馬県桐生市に転校しましたが、10代の多感な時期を桐生で暮らす中で、武里団地の頃には全くなかった強烈な劣等感が生まれ、それが長い間自分自身を苦しめることになりました。
 ③和洋折衷の生活様式。まず団地には床の間がありません。和洋どちらかと言えば、〝洋〟の色が濃かったように思います。畳の上に絨毯を敷き、テーブルを囲みました。しかし、押し入れがあり、夜は布団で寝ました。
 団地は、洋式水洗トイレでしたが、地方ではまだ「ぼっとんトイレ」でした。私は水洗が当たり前の感覚でいたので、越した当時のカルチャーショック(トイレに限らず、子供の人柄など)はひどいものでした。
 ④新たに歴史・民俗を持つムラを模造。団地に移住した〈団地移民〉たちは、「祭礼(団地祭り)」「盆踊り(武里音頭)」を作りました。しかし、鎮守「団地神社」を造営しませんでした。年中行事を〝団地サイズ〟で催しました。

 会場でも話したのですが、私に決定的に欠如しているものは民俗学的な体験です。
 ところが、ある群馬の50歳の方(村出身)は、幼少の頃に母親と祖母の養蚕仕事を目の当たりにし、母方の実家に囲炉裏があり、祖父が野良仕事の際に人のし尿を畑の肥やしとして使う民俗学的な世界(江戸時代と変わらない)を身をもって体験しています。
 しかし、私にはそうした経験が一切ありません。このことは〝神不在〟の団地祭りに象徴されているように思います。

 武里団地での生活は、芝生と植栽と公園に囲まれたコンクリートの箱の中の住空間でした。上下水道、都市ガス、洋式水洗トイレ、ステンレスのキッチン、ダストシュート(これは問題があり廃止)、ベランダなど、いわゆる〝文明〟がありました。
 文明はあるけど、伝統文化(床の間がない)が希薄でした。床の間がないということは、掛け軸、生け花を飾れません。お茶を点てるのに様になりません。
 もっとも団地も歳月を重ねていけば、団地には団地の歴史や民俗が生まれて、それらは沈殿する澱のように重層化していきます。
 最後に現状と未来について触れました。
 団地は変貌しています。かつて昭和40年代に憧れの対象だった武里団地はもうありません。周知のように少子高齢化が進み、子供の姿が激減しています。また外国人の居住者も増えました。新たな団地の姿が形成されつつあります。
 原武史重松清団地の時代』の中で作家の重松さんが指摘してますが、団地は2極化しています。ひばりケ丘団地のように自分流にリノベーションをして住んだり、また武里団地の外観のようにデザイナーズマンション風にイメチェンが図られています。
 しかし、一方で寂れつつある団地もあります。都営仙川アパートはホラー映画「クロユリ団地」の舞台となりました。映画「F号棟」もそうですね。
 かと思えば、アニメ映画「雨を告げる漂流団地」のように子供たちを主人公に解体前の団地を舞台にしたSFファンタジーのような作品(もっとも鴨の宮団地は「お化け団地」と呼ばれてますが)も制作されました。
 揺れる団地像と言ったところでしょうか。
 武里団地は2街区、7街区、9街区がなくなりました。そこに住んでいた元住民にとっては〝故郷喪失〟と同じです。しかし、元住民にとっては、武里団地がどう変わろうと、子供時代にいい思い出を与えてくれた故郷です。

 当時の武里団地の風景は記憶の中にしっかりと刻み込まれています。
 武里団地よ、永遠なれ。

昭和44年(1969)頃の武里団地9―12号棟前の芝生で。後ろ向きの子供たちの姿が見える。1番右端が私です。

 【参考文献】
『わたしたちのかすかべ』(社会科副読本、1972年)
『埼玉県市町村誌』第17巻(春日部市教育委員会、1979年)
春日部市史 第6巻通史編Ⅱ』(1995年)
春日部市商工名鑑』(春日部市商工会議所、1996年)
『学校要覧 平成14年度 小学校1』(春日部市、2002年度)
『学校要覧 平成14年度 小学校2』(春日部市、2002年度)
進士古径「武里団地の家族小規模化にみる高齢化と少子化核家族から多様な家族形態へ―」(『「春日部に生きて来た女性の歴史」研究誌』第2巻、2004年)
原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社、2007年、文庫版2010年)
原武史重松清団地の時代』(新潮社、2010年)
『コミュニティーライフ わたしの武里団地』(2019年)
春日部市郷土資料館『1960年の春日部』(2020年)
武里団地のあゆみ』(発行者 春日部市武里図書館団地班、2020年)