ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

植栽と芝生

近隣公園の植栽。ツツジが満開。こうした植栽と芝生は武里団地の風景を特色づけるものでした。現在はこうした植栽が取り払われてしまった。被写体の子供は弟。補助輪付き自転車に乗っている(Q街区所蔵)

 四季を彩る植栽と、青々とした芝生は、武里団地を特徴づける風景と言っていいでしょう。武里団地に限らず、公団住宅そのものを色濃く特色づける印象的な風景と言っても過言ではありません。
 それは今までの日本住宅の風景を一変させるものであったはず。

 従来の日本家屋は私が他県に引っ越してきてから住んだ平屋建ての日本風家屋(古民家)、また農家風家屋のような木造土壁・茅葺きのような家屋に代表されるものだったからです。

 農村風景に割って入るように、いきなり作られた公団住宅武里団地の多くが長方形立方体の鉄筋コンクリート造りの集合住宅です。〝団地族〟という言葉(よそ者の語感を含む)は、自称ではなく、旧住民からの呼称であったはずです。
 私の住んだ9―12号棟のタイプだと、9―12―101に始まり、横へ102~108あり、それが5階分、同様に201~208、最後の508までの40世帯が入居していました。平均3、4人家族として1棟に計120人~160人ほど。
 こうした号棟の狭間を埋めるように芝生が広がり、児童公園があり、植栽が植えられていました。コンクリの箱に住んでいた人間にとって、植物や樹木、芝生は癒し効果を生んでいたと言えましょう。

 私が武里団地に住んだ昭和50年代、子供の頃見た風景ですが、芝生は定期的に手入れされました。「ブーン」という機械音を轟かせ、芝生を刈っていました。芝刈り機はちょうど子供が押して遊ぶ玩具のような手押し型エンジン式車輪付きのものでした。
 恐らく今も芝刈りのやり方は大差ない(?)と思います。子供の頃、晴れた日にうなるような機械音を耳にすると、芝生を刈った後の独特の草の臭いが漂ってきて、芝刈りの今を実感したものでした。
 うろ覚えですが、芝刈り機を後ろから押していた人は、男性もいたし、女性も混ざっていたような気がします。子供の頃の私にとっては遠巻きに見る対象でした。近づいて、挨拶して、話を聞くなんてことは今では訳ないことですが、恥ずかしがりやの当時は考えも及びません。

 9―12号棟の北側は9―13号棟に挟まれており、通常より広くスペースを取ってありました。芝生は所どころ土が露出していましたが、これは子供が野球か何か遊びで踏んだからだと思います。
 たまに新たな芝が植えられていましたが、子供相手ですから成長することなく、子供が踏み荒らしてしまいます。芝生の上には随所に樹木が植えられてありましたが、それが育って大きく枝葉を伸ばすことはなかったように思います。そういう種類の樹木を植えてあったのでしょうが、種類はわかりません。
 団地建物の足元にも樹木が植えられてありました。自分などは恥ずかしがりやなので、集団登校の朝などはその後ろに隠れていたことがありました。

 よく遊んだ時計公園、近隣公園も植栽があり、5月になるととツツジのピンクの花が満開となり、目を楽しませてくれました。