ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

お便り帳ー武里白百合幼稚園1ー

白百合幼稚園舎の前で撮影。被写体はQ街区(Q街区所蔵)

 私は昭和46年(1971)4月10日に白百合幼稚園に入園しました。

 9街区から見ると、西側の水田の向こうにありました。

 Q街区所蔵の第6回卒園アルバムによると、正式名称は「学校法人富山学園 武里白百合幼稚園」と言います。普段の呼称は「白百合幼稚園」でした。わざわざ「武里」を付けて呼んではいませんでした。

 園長先生は富山詮之先生、副園長が富山シヅ先生です。

 クラスは年少組の時が「竹B組」、年長組の時が「松B組」です。松B組は園児39人(男子22人、女子17人)いました。

 私の代はA~Fまで6組ありました。A組43、B組39、C組42、D組45、E組43、F組45人。児童数は全部で257人。

 担任の先生は年少の時が須藤恵子先生、年長組の時が「田谷(たがや)美重子」先生でした。団地の隣りのお姉さんから「田谷先生は厳しい先生」というのを事前に聞いていましたが、私の中で厳しかったという印象はありません。どちらかというと毅然とした感じですか。それでも相手は園児ですから優しさが前提でしょう。
 幼稚園は保育園と違い、教育機関なので、いろいろと教わったはずです。しかし、記憶もおぼろげ。いくつか印象的に覚えていることを綴りたいと思います。

 登園すると、出席、欠席を確認するための小さい帳簿(確か「お便り帳」と呼んでいたような)を先生に提出し、それに判子を押してもらいます。判子は月によって形が異なり、随分と工夫されていたんだなと今になって思います。

白百合幼稚園出欠帳の昭和46年5月の箇所。鯉のぼりの判子が押印されている。月ごとに判子の絵柄が変わる。10月はどんぐり、正月は羽根つきの羽、2月は雪だるま(Q街区所蔵)

白百合幼稚園出欠帳の表紙。たけBとある。出欠表によると、保育日数225日のうち、出席は205日、欠席は20日とある。5月に6日間も休んでいるが、おたふく風邪でもやったのか。保育料(月3700円)とPTA会費の受領印の頁もある。(Q街区所蔵)

 

 昭和44年(1969)生まれの弟は第二白百合幼稚園に通いました。第二は9―12号棟のすぐそばにできました。なので送迎バスに乗らずにすぐ通えます。

 私は象バスに乗れてよかったなと思います。