園内行事ではおゆうぎ会、七夕飾り、餅つきがありました。
七夕飾りは短冊に自分の願い事を書き、それを飾りつけます。
餅つきは覚えています。杵と臼で搗いたきちんとした餅です。列をつくって順番待ち、ようやく私の番になって、1回こっきり搗きました。
当時の気持ちを言葉にすると、1回だけでは物足らず、何回か搗いてみたいという気持ちで一杯でした。この心残りは今でも持ち続けていて、臼の中の餅をペタンペタンと搗きたい願望がいまだに冷めていません。
餅は後で形を整え、きな粉か醤油(あるいは餡子か)かで園児たちに分けられました。それを教室で食べたような気がします。
それとお遊戯会のようなものがあり、私は数人の園児と一緒に「くろだぶし(黒田節)」を踊りました。
豊臣秀吉の天下統一を助けた黒田家に仕えた毛里太兵衛が福島正則の前で大盃の酒を飲み干し、名鎗日本号を与えられた故事にちなんだものです。
もっとも当時の私は黒田節を踊りたくて踊ったわけでなく、割り振りで否も応もなかったんだと思います。
「さぁ~け~は~の~めぇ♪の~め♪の~む~なぁ~らぁ~ばぁ♪日ノ本のい~ち~のこの鎗を~♪」という歌詞に合わせて踊ります。当時は全部歌えました。
舞台上で振り付けの練習があり、私は皆と違う方向に何度も回ってしまうので、他のクラスの先生から「違うっ」とビシッと叱られた思い出があります。そのお陰でこの黒田節の記憶がより鮮烈に刷り込まれました。
本番当日は白い上着、黒の袴を着用し、先生方が手作りした紙製の鎗(いわゆる名鎗、日本号)を持って、きちんと舞ったことと思います。母親も父親(あるいは仕事?)も恐らく見ていてくれたと思います。