大場小学校1年から3年の間の頃の出来事だと思います。だから昭和48年(1973)から同50年(1975)の間のことでしょうか。
遊びに夢中になって、夜7時頃に帰宅したことがありました。恐らくこうした子供は結構いたと思います。何せ楽しくてしようがなかったんですから。
武里団地の金属製のドアノブを回しましたが、カギがかかっていて開きません。私のことだからドアノブをガチャガチャやり、ドアをダンダン叩いたかと思いますが、ダメでした。
そこでチャイム(音はピンポーンかブーかどちらかだったか忘れましたが、ブーだったような気が…)を鳴らしました。だけど一向にドアを開けてもらえません。
中には母親がいるはずです。でも開けてもらえない。(おかしいな)と思い、何度もチャイムを鳴らしました。やがて母親がドアの内側に来て「もう入れません。こんなに遅くまで遊んで」と言いました(のはず)。
私は恐らく抗弁して「中に入れてよ」と懇願したかと思います。だけど、母親が、これが結構頑固で全くカギを開けてくれません。よっぽど腹に据えかねたのでしょう。
私は困ったと同時に半永久的に入れないような気持ちになりました。
そこでお向かいの隣りのおばさんに助けを求めました。咄嗟に思いついた行動でした。お向かいのIさんの家のチャイムを鳴らすと、おばさんが出てきました。
「どうしたの?」と聞きます。
「ママが入れてくれない」と私。
この「ママ」という呼称ですが、高学年のある時期から「お母さん」に変わります。そして「締め出し」という言葉は当時の私は知る由もないですから、この時に母親が言ったはずであり、こういう状態を「締め出し」と学んだのはこの時です。
「奥さん! 奥さん!」と、おばさんは何度もうちのチャイムを鳴らし、ドアを叩きました。
こうなると、天の岩戸ではありませんが、母親もドアを開けざるを得ません。
ドアは解錠音の後、仕方なく開きました。本当に仕方なくといった感じでした。
母親はIさんに助けを求めた私を見て、あきれたような表情。
母親は迷惑をかけたIさんに恐らく謝ったはずです。そして私に「今度、遅く帰って来たら締め出しにするから」と言われました。門限は午後6時だったように思います。
この締め出しという懲罰ですが、私は2度受けた記憶があります。そして2度目の時もお向かいのIさんのおばさんに助けを求めました。
帰宅が遅くなるのは、外で遊ぶのが楽しくてしようがなかったからなのでしょう。夢中になって時間を忘れてしまいます。母親の立場からすれば、夕食を作って待っているのに一向に帰って来ないわけですから腹立たしかったのでしょう。
しかし、その母ももう鬼籍の人となりました。
できることならもう一度、子どもの頃に戻って、締め出しをされたいものです。
そして、Iさんのおばさんが元気であることを祈るばかりです。