齢を重ね、昔子供だった頃の自身を取り巻く環境が一体どういうものだったのかが気になってきました。曖昧であった方が却って郷愁をそのままにしておけるのかな、とも考えますが、関連文献が折角あるのだし、明記できるものはしておこうと思いました。
春日部市立大場小学校の歴史を振り返りたいと思います。
依拠する文献は『学校要覧 平成14年度 小学校1』(埼玉県春日部市編・発行)です。記載の年表を文章に改め、自身の考えを加えながら記していきます。
まず昭和42年9月20日、春日部市議会が同市大字大場822番地に大場小学校の設置を議決しました。
実際の大場小の開校は、大畑小学校(昭和41年創立)においてでした。
昭和43年4月1日、大場小学校が武里団地6、7、8、9街区を学区として「開校」(こう表記されている)しました。大畑小内に設置されたプレハブ教室8室、仮教室2室を校舎とし、ここに職員12人が配置され、児童数400人(10学級)が通うことになりました。ちょっと気になるのが400人という切りのよさです。
昭和43年4月8日、第1回入学式が行われました。この年は新入児童118人(1年生)、児童数が計405人とあります。405人から118人を引いた287人が2~6年生ということになります。先ほどの「開校」の時期は春休みなので、2~6年生も4月8日から通い始めたのでしょう。
そして、ここで先述の400人という児童数が予定人数だということがわかります。全校児童の4分の1がピカピカの1年生で占められていました。
昭和43年8月28日、「落成式挙行」とあります。これは大場小校舎の落成式ということでしょう。約半年間の仮教室生活を脱し、晴れて自分たちの学び舎を持てました。
同年9月2日に校章が制定されます。
9月20日に「この日を開校記念日とする」とあります。
ここで私が違和感を覚えるのは「開校」したとする昭和43年4月1日と、新入生を迎えた4月8日、「開校記念日」とされた9月20日が明らかにずれているという点です。
この「9月20日」は市議会の議決の日付です。1年が経過し、遡って議決日を開校記念日としたことが年表からは読み取れます。
つまり実際に仮教室があり、教職員が配置され、初めての児童たちが入学した昭和43年4月8日ではなく、あくまで議決日が開校記念日なのです。
〝公〟のお墨付きを得た議決日を開校記念日とするのは、官僚的と言えば、官僚的であり、日本らしいのかななんて思います。どこもそうなのかな。