昭和48年(1973)3月15日付発行「武里白百合幼稚園PTA機関紙 しらゆり」第8号が私の手元に残されています。
私の母親が第8号をわざわざ残しておいたのは、Q街区の実名が将来なりたい職業と共に活字で掲載されていたからでしょう。
この号の機関紙だけが残されていたことに母親の気持ちがにじみ出ているようであり、じわりとこみ上げてくるものがあります。
機関紙の見開きの欄に「大きくなったら…卒園児」という全卒園児の将来就きたい仕事が本名(ひらがな表記)と共に紹介されています。当時の白百合幼稚園児はどのような将来を夢見ていたのでしょうか(写真参照、名前は伏せてあります)。
松A~F組の内、私の所属した松B組(Q街区)に絞って見ていきたいと思います。語彙表記は当時のままです。かっこ内の数字は人数です。
◆松B組
お医者さん(2)
スチュワーデス(5)
社長さん(1)
サッカーの選手(1)
ひかり号の運転士(1)
洋服屋さん(1)
おもちゃやさん(1)
歌手(2)
柔道の選手(2)
科学者(2)
パイロット(1)
おまわりさん(1)
博士(2)
タクシーの運転手(1)
婦人警官(1)
ライダー(3)
本屋さん(2)
ウルトラマン(改造人間)(1)
看護婦さん(5)
ピアノの先生(1)
自動車屋さん(1)
ペンキ屋さん(1)
フラメンコを踊る人(1)
おとうさん(1)
全クラスを通して比較的多いのが警察官、スチュワーデスです。
「タクシーの運転手」はQ街区です。
当時、なりたい職業を幼稚園で尋ねられて「タクシーの運転手」と答えた記憶があります。まさか機関紙に記載するために聞かれていたとは夢にも思いませんでした。
PTAの機関紙だから通常は親に質問されるはずですが、幼稚園で紙に書いて担任の田谷(たがや)美重子先生に提出した気がします。この欄はPTAの方ではなく、先生方の調査に基づくものかもしれません。
なぜ私が「タクシーの運転手」になりたかったのかですが、幼稚園児の自分の思考回路を辿ってみます。
当時の私はタクシーの排ガスの臭いが好きでした。団地内の道路をタクシーが通り、その排ガスの臭いが漂ってくると、私は芝生の上にしばしたたずみ、(いい臭いだ)と好んでいました。それは確かです。
だから将来なりたい職業を聞かれてパッと思いついたのがタクシー運転手だったのでしょう。他に選択肢を持っていませんでしたし、多少やむなくという感じも持ちつつ「タクシーの運転手」と回答した記憶があります。
そのほかの園児も見てみます。「ウルトラマン(改造人間)」と回答したのは別稿「500円札の思い出」のS君(下の名前はM)です。大場小3年生の時に財布を拾って交番に届けた感心な子供です。
面白いのはウルトラマン(改造人間)の表記です。これはS君というよりも、恐らく先生の方がウルトラマン(M78星雲の宇宙人)と仮面ライダー(改造人間)の区別がきちんとついていないため、このような表記になったのだと思われます。
片思いだったMさん(下の名前はC)は看護婦さんです。
松D組からF組も見てみましょう。
別稿「級友になれなかった幼なじみ」のK君(下の名前はT)は松D組の「お巡りさん」です。
「算盤塾」に登場したFさん(下の名前はA)は松F組の「看護婦か婦人警官」です。今はジェンダーの観点から「看護師」「女性警察官」と表記も変わりました。時代の移ろいを感じます。
あの時の園児たちは将来の夢をかなえることができたのでしょうか。
どんな人生をたどったのでしょう。
今年56歳、57歳の丙午(ひのえうま)と丁未(ひのとひつじ、~3月)世代。
還暦を目前に控えた、かつての園児たち。
今も元気であることを祈るばかりです。