算盤(そろばん)塾にほんの一時期通っていた時期がありました。
昭和49年(1974)、大場小学校2年2組の時のことです。
時期を覚えているのは、2年生の算数の授業で学ぶ九九の計算を算盤塾で早く覚えたため、学校の授業で苦も無く暗唱できたからです。
当時の私にはそのことがうれしくもあり、また九九ができなかった他の児童より先駆けていたという子供なりの優越感もあったと思います。私は勉強がさほどできたわけではなかったので(尤も当時はさほど自覚してなかった)、余計そう思ったかもしれません。
さて、その算盤塾ですが、場所は武里商店街入口(と同時にけやき通りの入口)の五差路交差点前のテナントビル(何階建てか記憶にありません)の中にありました。写真を参照していただきたいのですが、現在は建て替えられています。
テナントビルの入り口は南北2カ所(だと思う)あり、南の階段(狭い階段ではなく、幅が少しあったような)を上がります。蛍光灯にほんのりと照らされた、やや薄暗い廊下を進みます。
「ラーメン大学」というラーメン店があったことを覚えています。確か天井から下がった横看板(かな?)を見た記憶があります。
(なぜ学校じゃないのに大学なんだろう?)
と、うっすらと疑問に思ったことがありました。もっともその頃は小学校の上に中学、高校、大学などという教育機関があることもはっきりとわかってはいませんでしたが。
さらに進むと2階の一番北側の一室に算盤塾がありました。
肝心の算盤塾の名前は忘れました。ワンフロアの大きな部屋に結構な小学生の人数が通ってきていました。薄暗い廊下と対照的に教室に入ると、パッと明るくなり、子供の声で賑やかになります。
先生は女性の先生でした。小2の私の目を通して見るため、先生は年配の方に見えました。母親より(当時32歳)も年上に見えたと思います。とは言え、40歳から50歳ぐらいでしょうか。
先生は私のことを苗字の一部を取って「◯◯ちゃん」と呼んでいました。九九の暗記はさほど苦労することもなく暗記することができました。
教室の前にいる先生の面前で九九を暗唱できた時にテキストの端っこに確か「〇」を書いてくれた記憶があります。「もう1つ丸を」と、ただの〇ではなく、アニメの熊の顔のように〇を三つ並べた形でした。「よくできました」という意味です。そのことが私にはとてもうれしかったことを覚えています。
ちょうどその時、先生の机の傍に大場小1年9組で同級生だった苗字をFさん、下の名前をAさんという女の子が立っていて、私の顔を見て笑顔で何か言われたことを覚えています。「よかったね~」とか「わーいいなー」とか誉め言葉でした。
Fさんは私とは4年1組、5年1組でも同じクラスでした。背が高く明るい感じの性格でした。確か漫画を描くのが上手だったように思います。記憶違いかもしれませんがアニメ「キャンディーキャンディー」(1976年10月1日~79年2月2日放映)のヒロインの少女を上手に画いた記憶(確か)があります。
私の算盤の腕前は10級(何か別の言い方?)、9級、8級まで進みました。級はテキストがそれぞれあって、テキストを終えて何らかの試験(関門があったはず)をクリアして進級しました。私は残念ながら7級のテキストを進める途中で算盤塾を辞めてしまいました。なぜ辞めたのか、その理由を全く覚えていません。
人は年齢がいくつになっても他人から褒められるとうれしいものです。
誰しもが心の奥に「認められたい」という秘めた承認欲求があります。
算盤塾の思い出も初めて勉強関係で誉められた甘美な記憶となって残っています。