ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

2023-01-01から1年間の記事一覧

武里団地名店会(その1)

かつての武里団地名店会。7街区から歩道橋を渡り切ったところです。左が2―8号棟、右が2―5号棟。取り壊される直前であり、人気もなく、寂寥感漂います(2009年7月25日、Q街区撮影、以下の写真も同じ日に撮影) かつての武里団地名店会は団地中央に位置…

田んぼの中の菊池医院

ありし日の菊池産婦人科医院。今は駐車場。昭和49年(1974)6月1日、一番下の弟はここで生まれました。母の見舞いに訪れたことがあります(2009年7月25日、Q街区撮影) 私が武里団地に住んでいた期間内の昭和40年代後半から同52年までの掛かりつけのお医…

夏のスイカ割り

「まっすぐ、まっすぐ」 「右、もうちょっと右」 「少しだけ左」 「はい、そこ」 子供たちのにぎやかな声が飛び交います。 スイカ割りは夏の行事です。 目隠しをした上で、冒頭のような周囲の指示に従って、最終的には自身の判断で台に置かれたスイカ目がけ…

犬に噛まれる

あれは大場小学校2年生の時でした。はっきりと覚えている理由は「2年生の時、犬に噛まれた」と何回か人に話し、自身の心の中でも繰り返したからでした。 とすると、昭和49年(1974)のことになります。 今でこそ全く見ることができなくなりましたが、当時…

ドア物語―牛乳入れ―

牛乳入れ。「MILK BОX」とあります(2016年9月9日、Q街区撮影) 「締め出し」ついでにドア周辺のことに触れておきたいと思います。 ドア右横下(お向かいだと左側になる)には牛乳入れがありました。子供の当時はあまり意識しませんでしたが、子供目…

締め出し

武里団地9―12の3階のドアです。私の家です。夜7時頃に帰宅して母に締め出されました。ドアの色は何度か塗り替えられているので、子どもの頃と違います。チャイムも変わっています。当時のチャイムボタンは長方形のクリーム色のプラスチック板の真中に白い…

お面を作る―図画工作の授業―

大場小学校3年5組(担任、寺沢重喜先生)の時、即ち昭和50年(1975)のことですが、工作の時間でお面を作りました。紙製ですが、これが結構しっかりとしたものでした。 作り方は、まず調理用のボールを逆さまにしてその上を透明なビニールで覆います。そし…

武里団地9街区解体作業

解体作業の進む武里団地9街区。手前から奥へ9ー15、14、13(2023年5月19日、Q街区撮影) 令和5年(2023)5月19日(金)、春日部市中央図書館を訪ねました。レファレンスを利用し、親切な女性職員の方にいろいろと武里団地と大場小学校関係の文献を紹介…

母親の新聞配達

9―13(2022年9月21日、Q街区撮影) 武里団地で私の亡き母がひと頃、新聞(夕刊)配達のアルバイトをしていたことがあります。 これがいつのことだったのかはっきりと覚えていません。 恐らく私が大場小2年か3年頃ではないかと思います。すなわち昭和49年…

筑波山登山ー大場小の遠足➁ー

写真1 筑波山遠足の記念写真。中列左から2人目が私です。大場小5年1組の遠い遠い遥か彼方の思い出です。 昭和52年(1977)4月20日、大場小学校5年生の遠足で筑波山を登山しました。5年1組の私も参加しました。 しかし、記憶がどうも断片的です。…

テレビで再会

大場小学校4年生の3学期終了間際、つまり昭和52年(1977)のことです。 1人の同級生の男子が転校していきました。 転校先は聞いたかもしれませんが、忘れました。 か細い記憶だと、東武線沿線のせんげん台より南のどこかだったと思います。 苗字はS、名…

切手収集

日本昔話の切手。かぐや姫、浦島太郎、鶴の恩返し、おむすびころりん(鼠浄土)。 どういう気まぐれなのか、はたまた近所の子どもたちの影響なのか、私の母親がある日、私に切手収集を勧めました。昭和50年頃(大場小3年)でしょうか。 これが私の切手収集…