ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

武里団地9街区解体作業

解体作業の進む武里団地9街区。手前から奥へ9ー15、14、13(2023年5月19日、Q街区撮影)

 令和5年(2023)5月19日(金)、春日部市中央図書館を訪ねました。レファレンスを利用し、親切な女性職員の方にいろいろと武里団地と大場小学校関係の文献を紹介していただきました。必要箇所をコピーしました。

 次いで図書館から近い市教育センター内の教育委員会を訪ね、大場小昭和53年度の卒業アルバム(転校していなければ、受け取っていたはず)の所蔵の有無について問い合わせましたが、「こちらにはない。集めていない」とのことでした。実は昨年9月に武里西小学校を直接訪ね、同じ質問をしましたが、こちらにも大場小時代のものはないとの回答でした。
 教育委員会を辞去し、同じフロアにある市郷土資料館に入館しました。江戸時代の粕壁宿を再現したジオラマなどの展示資料は興味深く、今まで私の知らなかった春日部に触れられ、とても勉強になりました。
 春日部市は、奥州街道の粕壁(かすかべ)宿を核とし、河川には船で物資が行き交う陸上交通と河川輸送の発達した宿場町でした。昭和29年に春日部町と周辺の在(幸松、豊春、豊野、武里)が合併して成立しました。市とは言え、まだまだ田園風景が広がり、村の民俗が濃厚に息づく所でした。
 そんな昔ながらの農村風景の市域南端に武里団地という東洋一を謳われた(当時)巨大かつ人工的な住空間が出現しました。それは歴史の流れから言えば、全く異質な居住域でした。私はそこに育ち、団地の世界が全てでした。

 今もよく思うのですが、私自身に民俗学的な体験(ムラ的な)が全くないことに気づかされます。資料館の映像を拝見すると、団地以外の地域では伝統行事(夏まつり〈元は八坂祭典=祇園祭〉、大畑香取神社のやったり踊りなど)が豊かに息づいていたことがわかりました。
 そんな感慨を抱きつつ、郷土資料館を出た後、前日の晴天が嘘のような雨の中、武里団地を訪れました。市役所通りを車で南下すると武里商店街と団地入口の信号交差点に出ます。 

9―11前の状態。細い路地を行くと第2白百合幼稚園方面へ抜けられる(2023年5月19日、Q街区撮影)

 けやき通りを行き、カスミ前の交差点を右折し、9街区に直接向かいます。9―11前で車を降り、傘をさして歩き回り、デジタルカメラで9街区を撮影しました。
 9街区全体が工事用の囲いにめぐらされ、関係者以外は立ち入れないようになっていました。解体現場と化していたのです。あらかじめわかってはいたことですが、いざとなると虚しいもの。

9ー4(左側)、9―10(右側)方面(2023年5月19日、Q街区撮影)

 私が訪れた午後3時頃は作業が行われていませんでした。囲いの外から団地を仰いでいると、雨の本降りと相まって何とも物悲しい気分になりました。
 9街区の向こうには8街区の建物が見えます。ちょっと洒落た感じに化粧直しもされています。
 それに比して9街区はかつての青々とした芝生の上には解体された瓦礫が山と積まれ、静まり返ります。雨がしきりに降りそぼり、やるせなさが募るばかり。

 9街区ですでにないのは9―1、9―6、9―7、9―8、9―12です。9―3は昔からなかったのか?
 名店会一角にある武里団地管理センターを訪ねました。「9街区の解体工事はいつまでですか?」と工期を質問したところ、親切な女性職員の方が「来年(2024年)3月下旬までです」と答えてくださいました。 

9―5(手前)と9―9(奥)。さらに奥に旧谷中小体育館(2023年5月19日、Q街区撮影)

 「さら地にした後の予定は?」と尋ねると、同じ職員の方が男性上司に確認した後「現時点ではわかりません。ここで答えられるのはここまでです」との回答でした。
 センター並びのお茶屋のおづつみ園へ。品定めをしていると、「どうぞ」と試飲用のお茶を出してくださいました。濃い目のお茶が沁みわたり、一息つきました。
 やはり並びで営業する「麺カフェひまわり」で夕食を取って、武里団地を後にしました。