ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

大場小中退

就学通知書。春日部市教育委員会名義にて、名前の者を昭和48年4月1日に大場小学校へ入学させなさいという就学通知書(昭和47年12月付)が郵送されてくる。封筒を見ると、父親名義でなく、母親の名宛である。なぜなのだろうと、大人の今は疑問に思う。

昭和48年4月、大場小学校入学式当日の服装。臙脂のネクタイを締め、白いハイソックスに黒い革靴。背景の団地棟は9―13

大場小学校1年生。左の子供が1年9組のQ街区。左胸に紫色枠の長方形の名札が下がる。名札の中の上部に校章が見える。右腕に黄色い腕章を巻いている。黒革のランドセルも黄色い交通安全のカバーがかけられている。背後の団地棟は9―13。

 白百合幼稚園から晴れて大場小に入学しました。

 入学式の記憶はありません。

 1年9組でした。

 1年生用の大きな名札は長方形の紫色に縁取られ、中には平仮名で名前が書かれています。

 母親が書いたのでしょう。それを左胸にぶらさげ、新品のランドセルに黄色い交通安全のカバーをして、登校しました。

 2年生になると、名札が1年生用の半分ほどのサイズになりました(確か)。これが3年生になると、名札を付けなくなります。

 大場小には5年生の1学期までいました。

 夏休みに他県へ引っ越しました。大人風に表現するとカルチャーショック(いじめ経験)がひどく、春日部に戻りたくてしようがありませんでした。

 他県の小学校を卒業しましたが、小学校生活の大半は大場小ですから、あまり他県の小学校を卒業したという意識がありません。

 この世に生を受け、半世紀が経過し、今やすっかり他県民になりましたが、基本的な性格はやはり武里団地で培われました。

 武里団地をずっと懐かしく思い続け、今も団地を歩きたいと思うこと多々です。しかし、9街区も来春には完全になくなります。寂しい限りです。

 かつての同級生たちはどんな卒業式を迎えたのでしょうか?

 私は大場小に5年までいながら、卒業アルバムをもらうことができませんでした。転校先の学校の卒業アルバムをいただきましたが、何の意味もありません。

 

 大場小学校卒業、この肩書がうらやましいな。