ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

時計公園、トンネル公園

時計公園の砂場遊び。子供の後ろの土管が分針に当たり、「12」を指している(はず)。その上にバドミントンのラケットとシャトルがのっている。写真には見えていないが「3」を指す時針の土管もある。時針・分針の中には入ることができる。砂場の中のしゃがみこむ真ん中の子供がQ街区(白百合幼稚園入園前の3歳か4歳頃、昭和44年か45年)。バケツ(絵柄は怪獣)とシャベル、熊手(歯が見える)がある。主な遊び方はバケツに砂を入れて逆さにしてプリン状の盛り土をつくったり、また山を築いてトンネルを掘って貫通させるなどした。真後ろに毛布様の布(薄っすらと記憶にあるが、使用目的は不明)がある。私のすぐ左の子供は友達だが、ほどなく引っ越した。タバコの「ピース」缶が見える。右の女の子2人は塵取りに砂を入れている。写真左後ろにブランコ。このブランコは現在、西へ移動している。ブランコの向こうはまだ第二白百合幼稚園がなく、広場となっている。

時計公園のシーソー。背後に砂場が写り、時計の分針㊨、時針㊧が確認できる。さらに後ろに滑り台がある。このシーソーの場所に現在はブランコがある。シーソーに乗る子供はQ街区の弟である。昭和47年か48年頃、Q街区の母が撮影した。

時計公園の遊具の1つ。背後の団地棟は9―11。

 40年前の武里団地の児童公園はユニークに富んでました。

 9街区に住んでいたので、一番近いのが時計公園。

 中央の円形の砂場には2つの大きな土管がありました。色が塗られており、長いのと短いの。時計の針です。ナスカの地上絵ではありませんが、真上から見ると、時計の形をして、午後3時になっているはずです。

 子供と言えば、おやつ。だから午後3時かな。

 時計公園は周囲四角をツツジの植栽で囲われていました。季節になると、花が咲き、花を取って吸うと甘かった覚えがあります。

 ほかにブランコ、鉄棒、滑り台、前後に揺らせる相乗りの箱ブランコの遊具がありました。

 時計公園から見て、第二白百合幼稚園を挟んだ向こうにはトンネル公園がありました。

 ここは時計公園より敷地面積が少し広く、中央に大きな土管形のトンネルが置かれ、その上を上がることができました。

 一角の一段高くなった場所に球形の回転遊具(ジャングルジムのように登れる)がありました。回転させて足を地面から話して遊具とぐるぐる回る遊びをしました。

 時計公園とトンネル公園は本当によく遊びに行きました。

 他の街区にもユニークな公園がありました。

 確かアリ地獄公園。ここは中央がすり鉢状態の遊び場があり、この内側を走ってぐるぐる駆けて遊んだ記憶があります。

 それからオリンピック公園。ここは余り行った回数が少ないので、記憶がおぼろげですが、高いポールがいくつか立ってたからの命名なのか。もしかしたらアリ地獄公園とオリンピック公園は同一の公園かもしれません。

 そのほかにもたくさんの公園がありました。8街区にはかなり広い(子供の視線から)広場があり、ここでは子供たちが野球をしてました。

 とにかく遊具は造形が面白かった。デザイナーは遊び心があって図面を引いたのか。他の公団住宅にも似た遊具があったんでしょう。

 何年か前に武里団地に行きましたが、時計公園からは遊具も植栽もなくなっていました。危険と防犯上の理由からなのでしょうか?

 何かつまらないなと思い、立ち去ったことがあります。

 ちなみに時計公園もトンネル公園も正式名称でなく、子供もたちの間での愛称だったのだろうと思います。

 楽しい思い出を作ってくれた公園がどこまでも懐かしいです。