大場小5年1組(昭和52年、1977)の担任は関根岳是先生(男性)でした。
筑波山遠足の集合写真を眺めると、年齢は30代(?)、日焼けしてかっこいい、さわやかな感じの、青年らしさを残す先生でした。
私と同じくらいの世代の娘さんがいるとの話でした。当時、私の母から聞きました。
関根先生はご自宅が群馬県館林市にあり、そこから通勤してました。
5年1組は4年1組がそのままクラス替えなしに上がったクラスでした。担任は氏家千恵子先生から関根先生に変わりました。
氏家先生は威厳があってピシッとしており、クラスの雰囲気もなかなか粛然とした感じがありました(別稿で紹介)。
関根先生に担任が変わり、何が変わったかというと、クラスの空気が変わったことです。関根先生は気さくな感じの方でしたので、何と表現すればいいのか、雪解けが始まり、和やかな空気に包まれました。クラスのみんなを笑わせてくれるんですね。
同級生たちがどう意識していたのかわかりませんが、当時の私はそう肌で感じていました。
関根先生は、何と私の父親と同じ群馬県立桐生高校出身だというので、私の父親が大場小まで先生に会いに行きました。後日、関根先生から「お父さんが来たよ」と教室で知らされました。
私の父親にすれば、同じ高校の後輩だというので、うれしかったのでしょう。
私は1学期が終わったところで他県へ転校してしまったのですが、夏休みの林間学校への参加が許可されました。
今思うに両親と関根先生の配慮があったんだと思います。
行き先は奥日光。夜、関根先生が怖い話(別稿で紹介)をしてくださいました。
その後、5年1組では文集を作ったようです。そのことは仕事の都合上まだ武里団地に部屋を借りていた父親から作文を出すよう言われて知りました。関根先生が女子児童のMさん(当時9ー12在住)を通じて知らせてきたのです。
しかし、私はとうとう作文を提出しませんでした。大人になった今の私は後悔しきり。作文を提出して、文集をいただきたかった。
転校後、春日部に帰りたくてしかたがありませんでした。