ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

発言賞決定!

 大場小4年1組(昭和51年、1976)の時の担任は氏家千恵子先生でした。

 凛とした感じで、けじめのはっきりとした、優しさとユーモラスと少し厳しいところを兼ね備えた女性の先生でした。

 3年からクラス替えで4年1組に進級した時、氏家先生から最初に教わったのは「けじめ」の大切さでした。4年1組はあっという間に氏家先生のカラーに染まりました。

 氏家先生の発想はなかなかユニークでした。

 毎日の合唱。朝なのか、そのほかの時間に合唱したのか覚えてませんが、1つ記憶にあるのは「猿の軍団」の主題歌を皆と歌ったことがあります。歌う際はクラスメート(女子のSさんの記憶が、あるいは交代制か?)が前に出て指揮をしました。

 それとタイトルの「発言賞」です。その週に授業中に一番数多く発言した児童に発言賞を授与し、週末にみんなで祝福するという制度を取り入れました。

 確か発言賞はコメディアンの萩本欽一さんの番組(「欽ちゃんのドンとやってみよう」の欽ドン賞)に着想したアイデアだったと記憶しています。

 週末に先生が今週の発言賞は「◯君(または◇さん)に決定!」と発表します。

 するとクラス中でワ~ッと大きな声を出して盛り上がるわけです。氏家先生のそうした演出です。

 みんな賞をほしいから授業中の挙手は活発になります。

 ほとんどの子が挙手しました。

 いい思い出ですが、ただ1つ問題がありました。

 この制度の欠陥は先生が当てる子にやや偏りがあったことです。

 これは先生も意識してたのか、無意識だったのか、わかりません。

 しかし、結果的に発言賞を取る子もほぼ同じ顔ぶれになりました。確かN君、U君、Sさんがよく受賞してたような。ただ、当時の私にはその状況を判断するだけの判断力がなく、自分と違って受賞する子達はすごいな、また勉強ができるんだとさほど疑問もなく(正確に言うと違和感の萌芽ぐらい)受け止めていました。

 ある朝、登校して校門を入った辺りでクラスメイトのT君と一緒になりました。その彼が珍しく怒った口調で「えこひいきだ」と憤慨していたことを覚えています。

 この時、私は初めて「えこひいき」という言葉を覚えました。

 初めて自身を取り囲む状況に気づいた瞬間でした。気づいたというよりも、T君が私の違和感を言葉にしてくれたという、なるほどなというふに落ちた瞬間でした。

 私が発言賞を取ったことは一度もありませんでしたから。

 大人になった私の目から見て(というか思い出して)氏家先生の教育はきっと賛否両論あると思います。よかった面を取り上げて終わりたいと思います。

 氏家先生は私が絵を画くことが好きなこと、またカブトムシが好きなことをきちんと認識してくださっていました。

 図画工作の時間に卵の殻に着色して、その殻を板に張り付けるという一種のモザイク画(今思うにA4サイズかB5サイズぐらい)を作ったことがありますが、私は板一杯にカブトムシを作成しました。

 そのことの印象が強かったのでしょう。

 その次にオルゴールを作る時に上蓋の彫刻のモチーフに「カブトムシかな」と先生に言われました。私は純朴なものですから、先生の期待に応える形でカブトムシを彫刻刀で陰刻し、絵具を縫って、ニスを縫って完成させました。

 今もオルゴールの上蓋だけが残されています。

4年1組の折、氏家先生の指導の下で取り組んだオルゴールの工作。今は上蓋が残されています。曲は忘れました。