団地祭りの遠い記憶。
「団地祭り」と言っていました。当時の正式名称はわかりませんが、そう呼んでました。
団地祭りというと、武里団地を貫くけやき通りで行われていたと思いますが、第二白百合幼稚園ができた昭和47年(1972)より以前は幼稚園の場所が空き地になっていて、そこが団地祭りの会場(の1つ?)でした。
ほかの箇所でもあったかもしれませんが、それはわかりません。
くだんの場所で開催された頃は、中央に木材でやぐらが組まれ、周りには屋台がびっしりと並びました。
盆踊りもあったはずです。
団地の自宅にいても、スピーカーを通した盆踊りの曲が聞こえ、賑やかでした。
祭り提灯が飾られ、多くの人出でにぎわいました。
母親に連れていってもらいました。幼心に楽しかった。
やがて園舎ができました。団地祭りの時はけやき通り(当時はこの通りの名前を知りませんでしたが)まで見に行きました。
自分の住む号棟から近くじゃなくなるものだから、なんかさびしいような気持ちを抱いたものです。
その後、けやき通りが団地祭りのメイン会場になりました。道路両側に露店がずらりと並びます。おもちゃ、駄菓子を買ってもらうのが楽しみ。
実は2009年8月1日に団地名店会が移転する際の最後の団地祭りに行ったことがあります。もちろん〝浦島太郎〟の私は誰知る人のいない中、ただ懐かしさの気持ちだけで祭り会場をふらふらしました。この時、出し物で谷原中の生徒たちによるソーランダンスが披露されました。