あれは何年生の時かな。
大場小3、4年生ぐらいか。とすると昭和50年(1975)、51年(76)の頃。
記憶に残ってるのは土曜日の昼の下校時だと思います。
恐らく何回かそうしたことがあったはずです。
光化学スモッグ警報によって校舎の中で待機していたことがありました。
うろ覚えですが、校庭のポールに光化学スモッグを示す旗があがります。
当時の私には事情がよくのみ込めてませんでした。
ただ言われて従ってただけ。
昭和50年前後ですから大気汚染がひどかったんだと思います。これは全国的な問題でした。公害による環境汚染がひどく、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど後で社会科で勉強しましたが、身近に汚染があったわけです。
窓外をボーッと見ていると、そこには人っ子一人、誰もいない砂漠色の乾いた校庭がただ沈黙して広がっていました。
大勢の児童が教室で警報解除を待ちます。
大人になった私が思い返しても異様な光景です。
出てもいいよとなると、先生がそれを児童に知らせます。
われわれは勇んで下校しました。忘れないうちに記録しておきたいのですが、この土曜の下校はたまにだったと思いますが、集団下校の時もありました。校庭に全校児童が集合し、集団登校と同じ顔触れで列をつくって順番に下校しました。
それにしても光化学スモッグの旗とは…。
時代というものですね。