ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

女の子からの電話

 あれは昭和50年(1975)、春日部市立大場小学校3年5組のある日の放課後のことでした。私の家に電話がかかってきました。母親が出て「Mさんからよ」と私に言いました。
 Mさんは私のクラスの女の子でした。(何だろう)と電話口に出ると、確かに同級生の女の子のMさんでした。遊びませんかという誘いでした。
 私は、まず恥ずかしいという気持ちが先に立ちました。「○○にいるから」(場所は忘れました)と言われ、とりあえず家を出ました。その日は陽気がよかったので、初夏の頃だったのでしょうか。待ち合わせの場所に行ってみると、同級生のT君と女子のMさんのほか、Kさん、Оさんなど5人ほど一緒にいました。
 みんな同じクラスでしたが、男子はT君と私の2人だけ。初めての体験だったので、私は内心では少し戸惑っていました。
 Mさんが私に電話をしたのは恐らくT君の指示によるものと察しがつきました。T君は別稿でご紹介した学研マニアの友人です。どうもその場の雰囲気を振り返ると、T君は女の子と遊ぶこともよくあったようでした。
 ともかく何をして遊ぼうかといった時、T君が「わあっー」と叫んで、女子が「キャア」と遊び半分で怖がって逃げ出し、鬼ごっこのようなことをしました。
 今でも記憶にあるのは芝生の中の小さい山の上(割と高さがあったので9街区ではない)から山へと追っかけて無邪気に遊んだことを覚えています。私もT君に続いて走りました。
 それからどうしたのかはよく覚えていません。
 T君はMさんのことを「おなら」と呼んでいました。その理由はおぼろげなのですが、クラスでT君がMさんの臭いをかいで「おならしたろう」と難癖をつけ、それ以降、その不名誉なあだ名をMさんに奉りました。
 但し、МさんはT君だけから「おなら」と言われていました。他の同級生はMさんのことを「おなら」などとは全く呼んでいませんでした。
 Mさんの偉かったところは、T君に「おなら」などと呼ばれても一切嫌な顔もせず(少しはしたかも)、普通にしていたことでした。内心はきっと嫌がっていたと思うのですが、МさんがそのことでT君を責めたりしたのを見たことがありませんでした。 

昭和50年(1975)の春日部市立大場小学校3年5組。前から3列目、右から5人目が私です。前から2列目の右端がT君。前から3列目、左から4人目がMさんです。右上の2人は欠席者ですが、左の男の子が別稿「500円札の思い出」「校門前の商売」に出てきたS君(当時9―11在住)です。最前列の大人の左側が寺沢重喜先生、右側が岡村綱男校長先生。最後列の6人は先生方です。それぞれが3年の担任だとすると、3年7組まであったのか。左端に張谷婧子先生、右端に栗田たかし(隆?)先生(Q街区所蔵)

 そしてT君がMさんに嫌がるあだ名で呼んでいたのは実はT君がMさんを好きだったことの裏返しなのだろうと思います。好きな子をいじめたがる男子児童の心理はよく聞きますが、T君はそのことがピタリと当てはまったように思います。当時の私は、T君の心理を何となくは察していたように思います。T君がMさんをよく構っていたという感じだったので。
 Mさんはクラスで目立つ方ではありませんでしたが、容姿がかわいらしく、性格も穏やかで、口調も優しく、勉強も普通以上にできそうなタイプの子でした。
 そんな風に私が女子と遊ぶ機会は2度ほどあったような気がします。但し、4年1組に上がってT君とクラスが別々になってしまい、そうした機会はなくなりました。 
 私の場合、極度の恥ずかしがり屋で、また赤面症でしたから、他の男子と比べて余計に女の子と遊ぶことはおろか、話すことすら稀でした。
 これは別の話になりますが、女子、というと怖い記憶もあります。これはもっと幼い頃の記憶、まだ3歳か4歳の頃ですが、私の住む9―12で同じ階段を共有する4階か5階に住む女の子にWさんという子がいました。私が昇降口付近にいると、このWさんにグリーンの透明プラスチックナイフを上腕に押し当てられ、皮膚を切られたことがありました。

 これはどう考えても故意によるものであり、私は痛みを感じて出血しました。当然のことながら嫌がりましたが、Wさんが続けてしつこく切ろうとするので逃げた記憶があります。きっとWさんはナイフの切れ味を試したかったのでしょう。
 最後にもう1つ。これは感心した記憶です。ゴム跳びという遊びが大流行した時期がありました。あれは大場小3年(昭和50年、1975年)か4年かなと思います。両端に女子が立って、足にゴム紐をかけて、あや取りのようにゴムを2本平行にピンと伸ばします。
 私が昇降口を出たところの団地前の路上で上級生(恐らく)の女子が両足を交互に「く」の字にしてゴムを踏んだり、踏まなかったり、ゴムの内と外に足を入れ替えたり、またゴムを交差させたりと、複雑に跳んでいる姿を見て(すごいな)と思った記憶があります。自分にはとても真似できない器用な動きと技でした。
 今回は女子児童のことを書かせていただきましたが、私が春日部市立大場小学校に在学した昭和48年から52年まで(転校後も)、私は女子の同級生と遊ぶことがほとんどありませんでした。遊び相手は専ら男の子でした。
 恐らく世の男性(50代)はそうした方が大多数(?)だったのではないでしょうか。冒頭のことはあまりない体験です。それだけにK君と女子の級友たちの記憶が結構印象強く残りました。