
テレビのニュースを見ていたら、上野動物園のジャイアントパンダの大勢の見学が取り上げられていました。何でも来年1月に中国に返還されるためとか。これで国内にはパンダが1頭もいなくなるとのことでした。
ある感慨をもって見ていました。

昭和47年(1972)9月、日本と中国(共産党の中華人民共和国)の国交が回復しました。同時に日本は中華民国(台湾)と国交を断絶しました。日本は台湾を国ではなく、地域と見なし、日本と台湾とは民間交流が継続して現在に至っています。
当時の中国はまだ文化大革命のただ中にありました。指導者は毛沢東と周恩来。国交回復と友好の証として、その年の10月にパンダが上野動物園にやってきました。オスの「カンカン」とメスの「ランラン」です。漢字で表記すると「康康」「蘭蘭」ですが、当時の私は名前の漢字を知らず、ただカタカナ音で認識していました。

2頭のパンダの愛くるしい姿は当時の日本人をあっという間にとりこにしました。
上野動物園のパンダ舎は連日の行列。当時のニュース映像で見たような記憶があります。当時子供だった私も例に洩れず、純粋にパンダを見たいなと思ったものです。
パンダはマスコットキャラクター化され、ぬいぐるみから始まり、お菓子やおもちゃなどさまざまな場面で登場しました。確かアニメ化もされたほどです。子供の心を鷲掴みにしました。
昭和47年と言えば私はまだ5歳から6歳。白百合幼稚園まつB組の園児でした。
ある日、母が「パンダを見に行こう」と言ってくれました。それまでも上野動物園には何度か連れて行ってもらっていました。象、キリン、ゴリラ、カバ、ライオンなど見て回りました。園内の乗り物で子供動物園に移動し、そこでポニー種の小さな馬に乗り、一周したことを今でも覚えています。



母親から象のぬいぐるみを買ってもらいました。私と弟の2頭です。確か家で遊んでいるうちに長い鼻の途中の布が弱って、中の詰め物が少し出たような記憶もあります。
さてパンダです。これがいつ行ったのか覚えていませんが、パンダが来日して、さほど時間が経っていない時期であったと思います。パンダを見に行った時も長蛇の列でした。列に並び、列がゆっくりと移動します。
やがてパンダ舎の中にいるカンカンとランランが見えてきました。
少し遠目でしたが、確かにパンダがいました。白と黒の愛くるしい姿。餌の竹を食べるか、遊ぶかしていたのでしょう。この見た時間はわずかだったように思います。じっくりと見ていたならば、もう少し記憶に残ったでしょうから。
実はパンダの記憶よりも人込みの方の記憶がやや強かったように思います。そのためパンダの姿の記憶が薄れてしまいました。
しかし、このカンカンとランランを見ることができたことは貴重な体験でした。カンカンもランランももういません。その後、フェイフェイやホアンホアンが来ましたが、私にとってのパンダはずっとカンカン、ランランでした。
当時の中国による外国へのパンダ贈与は、パンダ外交とも言われました。
当時、子供だった私の中でパンダの故国、中国への親近感があったわけではありませんが、パンダ体験が下敷きにあり、その後、ブルースリーの映画やNHK特集「シルクロード」やドラマ「西遊記」を見て中国ファンになりました。しかし、振り返ると実際の中国でなく、ロマンとしての中国への憧れでした。そうした意味でパンダ外交は成功したのかもしれません。
日中国交回復時の中国の指導者は毛沢東と周恩来でした。周恩来は若い頃、東京に住み、日本の第一高等学校の受験に失敗して帰国しています。ちなみに共産党にとって内戦相手の敵方であった国民党を率いる蒋介石は日本の陸軍士官学校を卒業しています。当時の日台双方の指導者は、皮肉にも共に知日派だったわけです。
今の習近平さんは文革世代の方です。今の中国指導者たちには日本の子供にパンダを贈ろうという周恩来のような度量がないものなのでしょうか。日中関係が微妙な時期だから、逆に中国の株が上がるでしょうに。