ここは武里団地9街区

丙午生まれの昭和回想

肝試し、ミステリーゾーン

 引き続き、恐怖にまつわる話です。

 武里団地に住んでいた頃、はっきり覚えていないのですが、恐らく私が春日部市立大場小学校1、2年生ぐらいでしょうか。即ち昭和48、49年(1973、74)頃のことかと思います。確か肝試しがあったように思います。
 この記憶は結構おぼろげで、今一つはっきりしないのですが、夏休みの夜に確か肝試しが行われたような気がします。私は肝試しに行ったわけではないので、確かにあったのかどうか定かではありません。
 肝試しの場所は、9―12からトンネル公園の辺りにかけてではなかったかと思います。肝試しの主催ははっきりしませんし、またそのための予算が付いたわけでもありません。恐らく大人に提案された児童有志がそうしたことをした可能性があります。
 具体的にどういうものだったかと言うと、暗闇の中で上の学年の児童複数人が待機して、通行する子供たちをトンネル公園周囲の山や茂みからワッと出てきて脅かすという類のものだったかと思います。そうした地点が何カ所かあったのだろうと推察します。
 このことに関する私の記憶は実にあいまいです。前回、怖い話に関することを書こうと考え、そうした中から引き出された記憶です。確か引っ越してからそうしたことはなかったので、きっと団地での記憶だろうと確信したわけです。
 9―12―30■の自宅で母親から肝試しがある旨を告げられ、行くことを勧められたようにも思うのですが、記憶が何ともあいまいです。私は結局、肝試しには行きませんでした(確か)。
 あと肝試しと言うと、今でも思い出すのが東京の豊島園の「ミステリーゾーン」(お化け屋敷)です。こちらの記憶は割とはっきりしています。

 母方の祖父母の家が保谷市(現、西東京市)にあった関係で、西武池袋線沿線の豊島園に行くことが数回ありました。ミステリーゾーンに初めて入ったのは白百合幼稚園(年長か)に通園していた頃、則ち昭和47年(1972)のことです。
 母親に連れられ、ミステリーゾーンの入り口に入りました。中に入ると、薄暗く、トロッコのような乗り物があり、母親と次弟が一緒に乗り、私は1人で乗らされました。確か不安が先に立ったような気がします。そして私が先行したような気がします。
 乗り物はレールに沿って自動的に動き出しました。

 後ろの母親と次弟の乗り物との間が結構離れているように感じました。後ろを何度か振り返ったような記憶があります。
 記憶にあるのは真っ暗闇の中、障子向こうにろくろ首が座っている景色です。効果音もあったような気がします。園児の私は不安と恐怖でいっぱいでした。
 闇と恐怖に包まれ、早く外に出たいという気持ちが募りました。しかし、そう思えば思うほど先は長いものです。当時の気持ちを言葉に置き換えると、もしかしたらもうずっと出られないのではないか。

 映画「戦慄迷宮」(清水崇監督)は、お化け屋敷で少女が失踪するという設定となっています。私も幼い時にミステリーゾーンでの体験があったので、これは子供全般に共通したお化け屋敷の原体験と恐怖心を映画に取り入れたのかと思いました。
 確かに私の頭には「ミステリーゾーン」という単語が強烈に刷り込まれました。今でも記憶している理由は、幼稚園から課題として出された夏休みの思い出の作文か何かで書いたような気がするからです。