
小中学生なら7月下旬から夏休みです。昭和40年代の小学生の夏休みの過ごし方はどのようなものだったでしょうか。
親の実家へ行って祖父母の家で過ごしたり、また海や山、遊園地・動物園など行楽地へ行くこともあるでしょう。行楽や帰省ラッシュのニュースなど見ると、昭和も令和もさほど変わりはないかと思います。
日本は高度成長期を経て、昭和元禄と呼ばれる時期。世界的には冷戦ですが、日本国内は平和(米国に政治・軍事依存のため)です。戦後の影(経済的に、武里団地は特に外見的にも)が薄れつつあるなか、人々は余暇への関心を高めていました。
私の場合、父が群馬県桐生市、母が東京都保谷市(現、西東京市)に実家があったので、夏休みの度に行く機会がありました。桐生に行くと、父に山に連れて行ってもらい、杖代わりの木をそのまま持ち帰りました。父の実家は昔ながらの薪風呂だったからです。
母方の実家に行くと、豊島園(ミステリーゾーンが怖かった、確か豊島園だと思う)、上野動物園に連れて行ってもらいました。
そして夏休みというと、今でも覚えているのが海の記憶です。時期がはっきりしませんが、恐らく武里白百合幼稚園年長の夏休みか、春日部市立大場小学校1年生の夏休みだろうと思います。即ち昭和46年(1971)と47年だと思います。
家族そろって千葉県の海へ行きました。この旅行の時かどうかは忘れましたが、母が父に対して「子供たちのためにどこか連れて行ってほしい」と頼んだ場面をぼんやりと覚えています。それ以降、父も心がけるようになったのか、埼玉県内の吉見百穴、長瀞などに出掛けた記憶があります。
千葉県の海ですが、2回行った記憶があります。父親の運転する車で行きました。場所は千葉県の九十九里浜(と後年聞いた)。砂浜が長くどこまでも続き、水平線が広がっていました。

なにせ海なし県の団地育ちですから、海を見るのは初めて。砂浜の広さと海の大きさに感激しました。人影も少なく、日常と全く違う空間にいることに不思議な感覚に包まれました。
海辺の民宿に泊まりました。1泊か2泊したかなと思います。寝る時に夜のしじまの中で波の音だけが聞こえてきました。
海では、こんな遊びをしました。弟と砂浜でうつぶせになって、波が来て、また引くと、錯覚で自分が動いているような気分になって楽しんだ記憶があります。
また掲げた写真のように貝殻拾い。一見、潮干狩りのようにも見えますが、身の入った貝を拾った覚えがないので、貝殻を拾っているのかなと思います。
ある強いインパクトを伴って脳裏に刻み込まれた体験があります。父親に背負われて少し沖へ行ったことがありました。私には落ちたらどうしようという恐怖感がありました。その段階では全くのカナヅチでしたから。
案の定と言いますか、ひょんなはずみで父親の背中から海水にドボンと真っ逆さまにすべり落ち、海の中で1回転しました。
一瞬のことでしたが、目が明いていたので、その時見た海の中の様子を覚えています。透明感がある海の向こうに小さい生物が動いてたような、そんな記憶があります。
海中では海水が鼻にどっと入り込み、しょっぱい水を飲んでしまいました。次の瞬間、ザバアッと父親に引き上げられました。恐らく泣いたと思います。再び浜に戻ってきてホッとした気分になりました。
武里団地の自宅に持ち帰った貝殻はしばらく私の机の引き出しに保管されました。貝の螺旋に耳を当てると「コー」と音がし、海を思い出すよすがになりました。