日本では1975年から82年にかけてテレビ放映され、大ヒットした米国テレビドラマ「大草原の小さな家」。武里団地に住んでいた頃、見ていました。これはアメリカ合衆国の作家、ローラ・インガルス・ワイルダー(1867―1957)の自伝的小説が原作です。
小説は、このブログのように西部開拓時代の自身の子供の頃の思い出をつづったものですが、同書の解説に「トイレのことが書かれていないのは、それは書き手が19世紀女性だから慎みとして触れなかったのだろう」という趣旨のくだりを読んだことがあります。
なので武里団地のトイレのことを書いておきたいと思います。
水洗トイレは、台所とガス風呂と共に団地生活を快適にする上でなくてはならないビッグ3と言っても過言ではなかったでしょう。

私は昭和43年から昭和52年まで武里団地に暮らし、その後、群馬県桐生市に引っ越しましたが、当初は不便を感じました。その原因がトイレです。田舎は汲み取り式のボットントイレです。においもあってひどかったです。私が引っ越して、2年ほど経過してようやく水洗トイレに改築しました。
その点、トイレ事情に関しては武里団地に軍配が上がります。
トイレはドアを開けると、そのまままっすぐに便器があるのではなく、左横にベンキがあったように思います。だから、入って左を向いて便器に対するという形です。
トイレには母親がトイレの便座カバーをはかせ、床にトイレマットが敷かれ、ドアノブには恐らく母の手編みかと思われるノブカバーがはめられていました。
このトイレに関しての最も古い記憶は、父親からトイレトレーニングを受けた記憶です。トイレトレーニングを受けるのは2歳後半から3歳だから、昭和43年か44年頃のことです。割と映像のように記憶に残っていて、父親の見る前でトイレに座って、水を流すという一連の動作を習ったように思います。
振り返ると、水は結構、勢いよく流れていたように思います。あえて擬音化すると「ジャッ、ジャッ、ジャー♬」という感じでしょうか。タンクに貯めて流す式のものでなく、水道の給水管から直接流すから勢いがいいのでしょうか。
トイレを流すときは「フラッシュバルブ」のハンドル(レバー)を押し下げます。これは右側に付いていたように思います。日本住宅公団関東支所編『公団住宅の住いのしおり』(昭和41年4月1日発行)によると、このトイレはどこかの世帯のトイレが1カ所でもつまると、他の世帯(恐らく階段を共有する10世帯だと思われる)が迷惑になったようであり、注意が呼びかけられています。

幸いというか、そうした全世帯が困ったような記憶はないのですが、確か母親が一度だけ「タオルを流してしまったのよ」と取り出そうと、困ったような表情をしていたようなことがありました。
余談ですが、団地のトイレのドアは中から押しボタン式で施錠できるようになっていました。ノブのところに凸のボタンが横に飛び出ていて、それを押すと施錠されます。但し、これは外から開錠できます。10円玉硬貨で凹の縦溝に差し込んでひねるとガチャッと開錠されます。
その開錠の方法は、活字(何を読んだのか忘れた)で読んで、試しにそうしたらできたので、何回か施錠と開錠を繰り返して遊んだことがありました。
確か弟と鬼ごっこか何かして、弟が閉じこもって施錠した時に、私が10円玉でカチャッとひねって開錠して中の弟を捕まえるというようなことがあったような気がします。