
以前にも「団地の正月」のタイトルで書きましたが、改めて稿を起こしたいと思います。
特に屋外の正月風景について記します。
最近、とみに正月風景が消えたように感じています。子供たちが凧も上げないし、コマも回しません。
(ずいぶんつまらなくなったなあ)というのが今年干支(昭和41年の丙午生まれ、いわゆる還暦)を迎えた世代の感慨です。
武里団地に住んでいた頃の昭和43年から昭和52年にかけての正月の風景は、今よりはよほど正月らしい風景がまだありました。
真先に思い出すことは、何と言っても凧です。
今も鮮明に記憶しているのは、私の住む9―12と9―13の間の広めの芝生の上では、男の子同士や息子とお父さんらしき姿が見かけられ、その上ではいくつもの凧が上がっていたものです。これが正確には何年の正月なのかは不明です。私がまだ幼稚園かその辺りでしょうか。即ち昭和46、47年のことです。
その高さたるや、5階建ての団地の高さをしのぐほど。
9―13の高さを遥かに超えて、凧が上がり、それよりも高度が下がりますが、いくつかの凧が上がっています。

私は9―12―30■の自宅窓から、その風景を眺めて、その高さにすごいなと感心したものです。その後、自身でも凧をあげました。だけど、団地の高さを超えるほどまで上げたことはありません。最初に上げた凧は奴だこだと思います。凧糸を付けて、凧糸が巻かれたプラスチック製の糸巻きを手に持ち、最初は凧糸を短くして走ります。
走り出すと、凧が少し上がり始め、徐々に凧糸を伸ばして高さを上げていきます。ある程度の高さになってくると、立ち止まって凧糸をくいくい動かすだけで高さが安定していきます。凧糸を徐々に伸ばします。
凧はその後、ゲイラカイトが流行りました。これは本当によく上がりました。
あと正月の風景というと、コマ回しです。9―12の昇降口を出ると、路上では男の子たちがコマを回していました。団地ではべえごまをあまり見かけず(むしろ転校先の群馬県桐生市ではベエゴマが多数派でした)、いわゆる木製のコマであったり、金属製のコマを回しました。遊び方は回る長さを競ったり、衝突させたりの喧嘩ゴマです。
女の子が羽根突きをしているのを見たことがありました。これは結構本格的なもので、羽子板で羽を打ち合い、羽を落とすと、相手の顔に墨を塗ります。墨はバケツに入っていたような気がします。実際に落とすと顔に墨を塗られていました。
いつから正月らしい風景が失われてしまったのでしょうか。

私ごとですが、群馬県では毎年ニューイヤー駅伝が開催されており、私は毎年仕事の関係で桐生中継所に行き、写真撮影します。その折に桐生市、また自宅のある前橋市(と言っても合併した方の田舎ですが)で車を走らせますが、全くと言っていいほど凧揚げやコマ回しを見ません。
子供が少なくなった影響でしょうか。屋外で正月らしい風景がなくなった(少なくなった?)ことは寂しいなと思います。