季節的なことを考慮し、七五三のことを書きたいと思います。
武里団地には御承知のように神社がありません。香取神社も大場下稲荷神社も団地の近くにありますが、両神社とも古くからの地域の鎮守でした。
古くからの地域住民から見れば、新参者である武里団地住民(団地族とは旧住民による呼称)には、新年の初詣、厄除け、合格祈願、七五三、自動車のお祓いなどで参拝する神社というものがありませんでした。当時は若い夫婦世帯が多かったため、檀家寺(葬祭、墓)もまだ考えの外です。
日本史のセオリー(?)で行くと、村があれば、村人の精神的拠り所となる鎮守があります。鎮守の神はよそから勧請した神様(例えば、八幡宮、天満宮、諏訪神社、愛宕神社、金毘羅宮、秋葉神社、稲荷社など)がほとんどです。埼玉県東部だと香取神社(千葉県香取市に総本社)が多いようです。その点で武里団地はやや不思議な集落です。
1年前の講演の折、武里団地の団地祭りがどこの神社の祭りなのか質問して、誰にもわからなかったことがありましたが、「武里団地村」には鎮守がありません。
すると、武里団地のように子供が次から次へと出生する場合、初宮参り、七五三など子供に関わる行事を一体どうしていたのでしょうか。
他の家の事情を知らないので、私の家の事情を書くことになります。
私は昭和46年(1971)に5歳となりました。恐らく11月だったのだと思いますが、グレーの正装にえんじ色のネクタイをして千歳飴の長方形の紙袋を持たせられ、両親と幼い弟(2歳)と共に参拝しました。

その頃の私はよく事情がわかっておらず、ただ「七五三だから」ということと、祝い事であるという認識だけだったかと思います。
男子は5歳、女子は3歳と7歳に祝います。しかし、広辞苑を引くと、男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳に当たる年の11月15日に氏神に参詣する行事とあります。
私はずっと男子だけが5歳の1度きりだと思い込んでいました。これは当時もそう思っていました。当時の私は子供心に男子は女子よりも回数が少なく、女子はいいなと微かに思った記憶があるからです。と言ってもその感情はさほど強いものではなく、ほんの少しだけ頭をかすめた程度です。
七五三の記憶はたくさん敷き詰められた砂利を歩いたことです。黒い革靴で踏む度、少し歩きにくいなと思いました。広い境内の砂利を歩き、大きな拝殿に向かいました。武里団地からは自動車で行ったのだと思います。電車に乗った覚えがありません。
参拝を済ませ、記念写真を撮影しました。あとで千歳飴を食べました。白くて長くて甘い。なめてもなめてもなかなかなくならず、途中でかじったような気がします。

参拝先の神社ですが、私は長年、西新井大師(真言宗豊山派、五智山遍照院總持寺、東京都足立区西新井1丁目)だとばかり思い込んでいました。それは母親が時折「西新井大師」を口にすることがあったからでした。武里団地に移る前、両親と生後まもない私は、東京都豊島区駒込という所に住んでいました。恐らくその頃から御参りしていたのでしょう。参拝というと西新井大師という印象がありました。
ところが、写真の建物を見ると、西新井大師ではありません。氷川神社(大宮)でもありません。どうも明治神宮ではないかと思われます。
私自身はどこへ参拝したのかとうに忘れていたのですが、グーグルの画像検索を試しにかけてみたら、明治神宮拝殿がヒットしました。写真と画像をよく比較すると、拝殿のたたずまいがそっくりなので、どうもここのようです。
(自分はここへ参拝していたのか)と還暦間近になり、とうに忘れていた子供の頃の事実が改めて判明し、感慨深いものがあります。