かねてより行きたかった武里西口夏祭り。
「春日部三大夏祭り 第51回武里西口夏祭り」が2026年7月25、26日の2日間にわたって武里駅西口前から商店街(平成通り)を会場として開催されました。交通規制がなされ、歩行者天国となった通りを、家族連れ、友人同士、カップルがそぞろ歩き、イベントを楽しみました。
数か月前に私は次弟に誘われ、共に初日のみ祭り見物に出かけました。
25日午後0時半、群馬県の自宅を出立。途中で次弟を拾い、東北道館林インターチェンジで高速に乗って南下。岩槻インターで下り、古利根川を渡ってすぐ右折、一路武里団地を目指しました。カスミの有料駐車場に車を止めます。
次弟が「9街区跡地を見たい」というので歩いて9街区跡地を目指します。9ー12は私たちが昭和43~52年まで住んでいました。41年生まれの私は大場小学校5年生、44年生まれの弟は大場小2年の夏休みに転校しました。
弟は9街区全体の跡地を初めて見ました。私が昨年9月に訪れた時と変わったことと言えば、跡地がある程度整地され、雑草が芝のように刈られていたこと。
フェンスの向こうの夏の昼下がりに静まり返った跡地を見て、弟も思うところがあったようでした。
時計公園ではブランコに乗り、当時のブランコの遊び方を話しました。普通に座ってこぐ以外に、腹ばいになってウルトラマンが空を飛ぶようにしてこいだり、また座ったままブランコごと回転させて(鎖がねじれる)それが自然にほどけるようにして回転させて遊んだこと、ブランコをこいで勢いを利用して前方にジャンプして遊んだこと。

確かブランコの隣りにはシーソーが2つありました。シーソーも普通に両端に2人が座ってギッコンバッタンと上下させる遊び方もありましたが、1人の時はそのシーソーの真ん中に立って重心を移動させて上下させたりもしたかと思います。
トンネル公園も行きました。西側隅の古い棚は私たちが住んでいた昭和40年代からあるもので、小石まじりのコンクリ製の柱が時代を感じさせます。武里西小校庭の片隅にある大場小学校の校歌の石碑を拝見し、移動して工事フェンス内側の9―12のあった辺りを覗き見ました。その後、谷中小の校歌碑を見ました。公園にはバレーボールのネットが張ってあり、子供たちが数人でバレーに興じていました。
1街区の中を通って祭り会場へ向かいました。団地棟を見ながら歩いていて前回来た時と目だって違ったことは、住民層の変化でした。黒人系の外国人(男女共に)がとても増えたなと感じました。
祭り会場は商店街入り口に車両立入禁止のガードが立てられ、交通規制がなされ、歩行者天国状態となっていました。祭りは午後4時半に始まりました。武里駅西口前のイベント会場では子供たちによるダンスが披露されていました。
昼抜きで空腹だったため屋台で焼きそばを購入し、路上で座って食べました。屋台の様子も昔の祭りの夜店(テント)とは違い、キッチンカーが目立ちました。

次弟のリクエストで近くのニューパールレーンというボウリング場(ラコマートの2階にある)で1ゲームのみボウリングをしました。このボウリング場は結構古く、私たちが住んでいた昭和50年代にはあったかなと思います。
その後、武里駅東口の方へ回り、西口に出て、商店街を通って阿波踊りを見に行きました。「南越谷きむら連」による阿波踊りです。その後、西口に戻り、シニアカーレース「大場ゴレンジャー」を拝見。シュールな出し物に頭が追い付いて行けず、ただあっけに取られてしばし眺めていました。

次弟の提案で武里駅から電車でせんげん台駅に行き、駅前のマクドナルドで夕食を取りました。私1人であったら、こうした動きは取らない(発想がない)のですが、弟の提案に任せるまま移動しました。
その後、せんげん台駅から徒歩で武里駅へ向かいました。けやき通りをてくてく歩きます。5街区を左に、4街区を右に見て、通りの左側を進みます。やがて5街区が6街区となり、中央の交差点に出ました。けやき通りの右側を歩いて再び祭り会場に到着。





弟が「ラコマートの値引き商品が気になる」というので、ラコマートに入り、買い物に付き合いました。ラコマート斜め前のメロンパン屋さんでメロンパンを買いたかったのですが、すでにほとんど売り切れ。あきらめました。
再びカスミに戻る途中、ついに右足がつりそうになりました。結構歩いたし、水分が足りないのだろうとカスミ前の珈琲館で落ち着いてから帰路に着きました。
武里西口夏祭りを見ることができたのはいい経験でした。だいぶ様子がわかったので、また機会があれば、来てみようかと思いました。
今年で開催第51回を数える武里西口夏祭りですが、今年還暦を迎える私が武里団地に住んでいた昭和50年代にはもう行われていたことになります。当時の武里駅前の祭りに関しては記憶がありません。恐らく機会がなく、出かけなかったのか。当時は団地祭りが盛大に行われていたので、そちらの方が強く記憶に残っています。