遠い誕生会の記憶。
一番幼い時の誕生会は同じ武里団地9街区の12号棟に住んでいたU君の誕生会です。
下の名前はK君と言いました。私は3階、U君は5階に住んでいました。そのU君は私と同じ歳か1歳下(後に母親からそう聞いたような)か。はっきりと覚えていません。白百合幼稚園に上がる前の友達です。
その彼とはよく遊びました。時計公園の砂場(ブログ「時計公園、トンネル公園」の写真参照)で砂遊びをし、また彼の家へ遊びに行ったり。
誕生会というので、恐らく母親と一緒に用意したプレゼントを持って5階に上がったんだと思います。
U君のお母さんに中へ通されると、U君を祝う大きなケーキがテーブルの上にありました。「おたんじょうびおめでとう」とあしらわれた板チョコがのっています。
U君がケーキのクリームを人差し指ですくってペロリとなめました。私もそうしていいのかなと思い、指先でクリームをすくい、舌にのせました。甘かったな。
このケーキを食べたはずなのですが、その辺はあまり覚えていません。クリームを指でペロリとやるのは初めての体験だったので、よく覚えています。
ある日、U君が団地を出て、引っ越すことが決まりました。そのことを私は母親から知らされました。
それ以降、私は彼と会う度に「もう引っ越したの?」と何度か尋ねた記憶があります。
つまり「引っ越す」という意味が今ひとつわかっていなかったんですね。
だから本当に彼が引っ越して、もう会えなくなった時に、初めて「引っ越し」の本当の意味を知りました。彼とはその後、二度と会うことはありませんでした。
後年になって母親にU君のことを尋ねると「福島県に引っ越した」と答えた記憶があります。U君の母親と私の母親とはしばらく手紙(もしくは年賀状)のやり取りをしていたようでした。
U君が元気でいることを願ってやみません。
こうした誕生会という行事は、昭和40年代、50年代の小学生の間では結構、盛んに行われました。
友達を呼んだり、招かれたりして、私も何度か経験があります。
隣りのIさんの家のお姉さん(7~9歳か)の誕生会にも招かれました(私が4、5歳か)。その時、母親から誕生日プレゼントを持たされ、彼女に渡しました。
私はプレゼントの中身を知りませんでした。お姉さんがその場で開けると、何と下着。お姉さんが「パンツだ」とびっくりして笑ったので、私は恥ずかしくなって赤面して(恐らく)黙ってしまいました。