私の住んでいた9街区の駄菓子屋というと、まず大場小学校校門脇にあった「寿商店」と、谷中商店街にあった「たけや」の両店でした。
私たち子供の間では「ことぶき」と呼んでいました。寿商店が正式名称であることを初めて知ったのは、おとなになって団地を訪ね、街灯柱の上に残っていた広告看板(写真参照のこと)を見た時です。
この「ことぶき」には、かなり幼い頃から1人で出入りしていました。
店にはおばさん2人(?)が店番でいたような気がします。
白百合幼稚園(昭和46、47年〈1971、72〉)の頃、僅かなお小遣い(せいぜい100円玉)を握って、買い物に行きました。駄菓子もせいぜい10円、20円の世界ですから。よくガム(四角い立方体で果物味)を買いました。みかん味がお気に入りでした。
ザリガニを釣る際は裂きイカをことぶきで買っていきました。割りばしの先に糸を垂らし、裂きイカをつけておきます。ザリガニが鋏で挟んだら釣り上げます。
ことぶきに関しては、子供心に強烈な記憶が残っています。
玩具用の飛行機を買いました。代金は確か10円か20円。プラスチックの胴体に紙(スチレンペーパーか?)製の両翼が付いたものです。団地の芝の上で、私たちは翼を微妙に曲げて調整して飛ばしたものです。
私がまず飛行機を買い、それを見た友達も買うというので、一緒に店内に入って買物に付き合いました。友達が清算して店を出ようしたところ、店のおばさんが私に「お金払っていないから持って行っちゃダメ」と言いました。
もちろんお金は少し前に買いに来た時に支払ったのです。ところが、おばさんは私の顔など覚えていないのでしょう。万引きしようとしたと誤解され、4歳か5歳の私は納得できない気持ちで飛行機を店に置いて外へ出ました。
後で母親に「お金払ったのに、おいていけと言われた」と訴え出ましたが、母は「店の人は黙って持って行こうと思ったんだ」とつぶやいたきり。店に何か行動を起こそうともせず、そのことはそれで終わりになりました。今だったらクレームだ、土下座だで大騒ぎになるのかもしれませんが、当時はそんなものでした。
私はそれ以来、一度品物を買って外に出た場合、その品物を持って店に入るということを絶対にしなくなりました。まあ手痛い教訓を子供なりに得たわけです。
その後、ことぶきで飛行機を買う機会がありました。その時、おばさんに言われたのが「今度はちゃんとお金を払ったね」の一言。大人の理不尽さをここで学びました。
その後もことぶきには、アイスを買ったり、テレビCMに触発されて「テレパッチ」(口に含むとパチパチはぜる粒状お菓子)を買うなど出入りはありました。
しかし、大きくなるにつれて、ことぶきへ行く頻度が減りました。
たけやもたまに行きました。私の住む棟からは、ことぶきもたけやも等距離にあったからです。両店とももうすでにありません。