大場小3年5組(昭和50年、1975)の時の思い出。
クラスメイトのS君と将来、一緒に発明家になろうと、誓い合い、それから一時的に学校の勉強を頑張ったことがありました。
これは藤子F不二雄先生の「ドラえもん」の影響です。
四次元ポケットから出てくる様々なアイテムを発明しよう、それにはまず勉強をしなければならない、というわけです。
私の1年生、2年生の通知表は、2ばかりでした。行進曲(1212)ではありませんでしたが、似たようなものです。
それがいきなり勉強するものだから、すぐに効果が一定程度表れました。
3年生の成績通知表はそれまでの「通信簿」から「あゆみ」に切り替わりました。
いわゆる1~5で付けるのでなく、「よい」「ふつう」「もう少し」で付けるものです。私は「ふつう」のオンパレード。まあ私にしては上出来です。
S君とはほかの級友と格闘して遊んでるときピンチに陥ると、発明品の強くなる薬(想像上のことです)を飲んで、一気にパワーを付けて切り抜けるなんてことしてました。
4年に進級する時、クラス替えがあり、S君とはクラスが分かれてしまい、発明家の夢もそこで自然消滅しました。